山極は帰国から18年後[5]、当時の心境を次のように述べている[6]。
所謂脳波なるものが如何にも曖昧模糊としていて、何とでもいえばいえるようで而も何ともいい得ぬ真に掴みどころのないもの、という印象が強く、敢えて手を出す勇気がなかったのであります。私共の調べたアルファ波にしても、第一多数の人の中の私共二人だけが明瞭であったという事実は,それを以て正常の存在とすることの妥当か否かを疑わしめました。正常でなくとも確実不動の事実であれば、それを追求していくことも一つの切り込み方でありますが、ところが私共のアルファ波も必ずしも恒存というわけでなく、長い記録を取ってみますと特別の理由もないのに間々不明瞭な部分、不規則な部分、ひどく様子の異なった部分などがあるのであります。
続けて、十全な脳波研究を行うためには次のような広汎な予備知識が必要になると予言している。
記録されたものがそのまま本質的なものか否かの疑問も当然湧きますが,批判実験のメドが立ちません。そこで方法を出来るだけ厳格に吟味した上で一応記録をそのまま受け入れて,真正面からそれと取っ組んで行く方法も考えられるわけですが,それにしても物理学,電気学,とりわけ数学上の相当な力倆が要りますし,といってこれを脳の内部から考察してやろうとすれば,解剖学,組織学の詳細な知識は勿論,脳の生化学,薬理学からも,果ては心理学まで登場することになりましょう。
出典^ 博士論文:神経働作電位に及す非電解質の影響(英文) 昭和13年
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