山東京伝
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^ 書名は『〔新〕美人合自筆鏡』か[24]
^ 並列の題名は『京伝工夫小紋形』[25]、また上条耿之介の考察あり[26]
^ 別題に『風流手拭合 (ふうりゅう たなぐいあわせ)』、また『志やれ染手拭合 (しゃれぞめ たなぐいあわせ)』とも。いわば仲間同士のデザインコンテストの図録という設定で、応募作品79作をカラー(彩色刷り)で載せたと序文は説明する[28]。応募者に鴨鞭蔭〈かものむちかげ〉こと加藤千蔭という京伝が国学を教わった師匠の名が見え、当時の京伝の交友範囲を見ることができ、妹で当時14歳の黒鳶式部を主催者名にあげてある。実際には、風流とされていた行事のパロディー企画を10歳年長の京伝本人が構成したとして、この出版物と別に現実に催したかどうかは不明[28]
^ 石部琴好作の『黒白水鏡』。田沼意次の子意知が江戸城中で佐野政言に斬りつけられた事件を扱った[5]
^ 煙草入れなどの袋物や煙管・丸薬類(読書丸など)を販売。京伝は商品のデザインを考案し引札(広告ビラ)を制作し、自身の作品のなかでも店の宣伝をした。店の経営には父・伝左衛門があたり京都・大坂に取次所もできた。父の死後は京伝の後妻・玉の井(百合)が経営を受け継ぐ。
^ 従来は書肆が作者に潤筆料を払う習慣はなく、当たり作があれば作者を遊里で接待するなどしたようである。
^ この随筆が、天保8年(1837年)に出版される『北越雪譜』となる。
^ 京伝は新作の構想ができるとまず百合に聞かせ、その意見を参考にしたという。
^ 市販書などではこの時の京伝の旅行を寛政6年と説明するものもあるが、謬説である。『伊波伝毛乃記』にある寛政年中の京伝の旅行を小池藤五郎が寛政6年だと推測して著書に書いたことから広まったとされる。『安積沼』の序文に京伝自身が「寛政庚申年蒲月」(寛政12年5月)に熱海を旅行したと明言していることから寛政6年旅行説は否定される。
^ 京伝は近世初期の風俗考証に努めた。
^ 勧善懲悪など道徳的な内容を心がけること、剛悪・不祥・殺伐な内容はできるだけ避けるようにすること、など迎合的な内容になっている。
^ 髪結いの営業権でかなり高価なもの。この営業権を一般の髪結い職人に貸し付けて揚銭(礼金)を納めさせたのである。
^ 幕府による検閲の厳しさをあげ、また戯作などの虚業ではなく実学・和学に精励することを勧めている。黒沢翁満はこの書簡が契機となって国学者への道を歩むこととなる。

出典^ a b すみだゆかりの人々 1985, p. 6.
^ 佐藤至子 2009, p. 1-2.
^ 家族については佐藤至子 2009,pp. 1-2を参照
^ すみだゆかりの人々 1985, p. 7.
^ a b 宮武外骨「黒白水鏡」『筆禍史』(image/jp2)雅俗文庫、大阪、1911年(明治44年)、46頁。doi:10.11501/897233。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897233。2020年12月21日閲覧。 
^ a b 博学こだわり倶楽部『どんどん頭がよくなる 雑学王 話のネタ300連発』河出書房新社、1999年、29頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4309493077。 
^ a b なるほど倶楽部「江戸時代に生れたワリカン」『つい他人(ひと)に自慢したくなる 花マル雑学塾』 1巻、KADOKAWA、2004年。ISBN 978-4043737024。 
^ 森田誠吾『曲亭馬琴遺稿』新潮社、1981年、208頁。 
^ 佐藤至子 2009, p. 2.
^ すみだゆかりの人々 1985, p. 8.

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