『人間の壁』『武器なき斗い』『松川事件』と独立プロでの製作を続けていたが、大映の永田雅一より仕事の依頼を受け、市川雷蔵主演の時代劇『忍びの者』の監督する。当時としては忍者を初めてリアルに描いた作品として大ヒットを記録し、以降は大手映画会社での製作が中心となる。大映では『傷だらけの山河』『証人の椅子』を、東映では『にっぽん泥棒物語』を世に放ち、1965年には医学会にメスを入れた山崎豊子の問題作であり、山本の代表作となった『白い巨塔』を発表する。
1969年に長編記録映画『ベトナム』を製作した後は、日本の大陸への進出の歴史を描いた『戦争と人間』三部作を監督し、金融界の内幕を暴いた『華麗なる一族』を始めとする一連の山崎豊子作品や、構造汚職を摘発した石川達三原作の『金環蝕』、自衛隊のクーデターを描く『皇帝のいない八月』などの社会作を連続して監督した。
『あゝ野麦峠・新緑篇』を撮影した後は、仕事の合間を見ては自伝の執筆を続けていたが、1983年5月19日に入院し、8月11日に膵臓癌のため死去。享年73だった。墓所は川崎市春秋苑。自伝は、山本の死後に「私の映画人生」という題名で出版された。野上弥生子の「迷路」、森村誠一の「悪魔の飽食」が次回作として予定されており、また原作の前半部分を山本が映画化した『不毛地帯』の続編(後半部分)の製作も企画されていたが、山本の急逝と共に未完となった。 社会派として反体制的な題材を扱いながらも娯楽色豊かに仕上げる手腕・バランス感覚をもった監督として、興行的にも常に成功していたため、共産党を嫌った大映の永田雅一や東宝の藤本真澄など経営者級プロデューサー達にも起用された。多くの大作を残していることから、「赤いセシル・B・デミル」と呼ばれた。戦後の日本映画独立プロ運動の中心的役割をになうと共に、またソ連や中国をはじめ各国の映画人との交流を深め、ベトナム人民支援、チリ連帯、反核活動、全国革新懇などにおける運動に献身的に参加した。 藤本真澄とは奇しくも同じ生年月日のうえ、それぞれ鹿児島県(薩摩)と山口県(長州)に少年期を送り、母校もそれぞれ早稲田と慶應義塾、東宝入り後も監督とプロデューサー、左翼系フリー監督(日本共産党員)と経営幹部(東宝副社長)という風に、対比される要素を多く持っていた。この奇縁は二人の生前から映画界では有名で、猪俣克人・田山力也共著「日本映画作家全史」(1977年現代教養文庫)などでも紹介されている。 映画会社の春闘と自身の映画の製作が重なった場合は、撮影が中断しないよう、ストライキを起こす組合と個別に交渉するなど、共産党員ではあったが、映画監督として現場重視の姿勢を見せていた[11]。
人物
監督作品『真空地帯』(1952年)『松川事件』(1961年)『白い巨塔』(1966年)
お嬢さん
母の曲 前・後篇(1937年、東宝)
田園交響楽(1938年、東宝)
家庭日記 前・後篇(1938年、東宝)
新篇 丹下左膳 隻手篇(1939年、東宝)
美はしき出発(1939年、東宝)
街(1939年、東宝)
リボンを結ぶ夫人(1939年、東宝)
そよ風父と共に(1940年、東宝)
姉妹の約束(1940年、東宝)
歌へば天国(1941年、東宝)
翼の凱歌(1942年、東宝)
熱風(1943年、東宝)
戦争と平和(1947年、東宝)
こんな女に誰がした(1949年)
ペン偽らず 暴力の街(1950年、大映)
箱根風雲録 (1952年、新星映画=前進座)
真空地帯(1952年、新星映画)
日の果て(1954年、松竹)
太陽のない街(1954年、新星映画)
愛すればこそ(1955年)
市川馬五郎一座顛末記 浮草日記(1955年、俳優座)
雪崩(1956年、東映)
台風騒動記(1956年)
赤い陣羽織(1958年)
荷車の歌(1959年、全国農村映画協会、全国の農協のカンパで制作)
人間の壁(1959年、新東宝)
武器なき斗い(1960年、大東映画)
松川事件(1961年、松川事件映画製作委員会)
飼育(1961年、NTV)[12]
乳房を抱く娘たち(1962年)
忍びの者(1962年、大映)
赤い水(1963年、大映)
続・忍びの者(1963年、大映)
傷だらけの山河(1964年、大映)
にっぽん泥棒物語(1965年、東映)
証人の椅子(1965年)
スパイ(1965年)
氷点(1966年、大映)
白い巨塔(1966年、大映)
にせ刑事(1967年、大映)
座頭市牢破り(1967年、大映)
牡丹燈籠(1968年、大映)
ドレイ工場 (1968年)
ベトナム(1969年)
天狗党(1969年、大映)
戦争と人間 三部作(1970年 - 1973年、日活)
第一部 運命の序曲(1970年)第二部 愛と悲しみの山河(1971年)完結篇(1973年)
華麗なる一族(1974年、芸苑社)
金環蝕(1975年、大映)
不毛地帯(1976年、芸苑社)
天保水滸伝 大原幽学(1976年)
トンニャット・ベトナム(1977年)
皇帝のいない八月(1978年、松竹)
あゝ野麦峠(1979年、新日本映画)
アッシイたちの街(1981年、大映)
あゝ野麦峠 新緑篇(1982年、東宝)
メディア
映画監督山本薩夫(映画監督山本薩夫をつくる会 1993年)
山本薩夫生誕100年(NHK 2010年8月)
著書
『私の映画人生』新日本出版社、1984年。
脚注[脚注の使い方]^ 山本薩夫 - allcinema