山本直純
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音楽関係者の間では「日本の音楽普及に最も貢献したひとり」として高く評価されている。だが一方で、生前は周囲とのトラブルや、1978年8月6日に起こした交通違反スキャンダル[注 2]などでのマイナスイメージもあり、生前はその多大な功績に比して世間から必ずしも高い評価を得られない一面もあった。晩年はアマチュアオーケストラのジュニア・フィルハーモニック・オーケストラの指導にも特に力を注いだ。岩城宏之とは無二の親友であった。1999年には、妻の心臓発作を機にキリスト教カトリック)に入信している。洗礼名はフランシスコといった。こどもさんびか改訂版に「せかいのこどもは」(作曲)を残している。

1998年に鹿児島県南種子町で開催された「トンミーフェスティバル」において作曲を手がけたことが縁となり、楽譜をはじめとした資料、楽器、生活家具などが同町へ寄贈され、南種子町郷土館内に「山本直純音楽記念室」が開設された[1]

2002年6月18日急性心不全のため死去。享年69歳。墓所は品川区高福院
親族[ソースを編集]

父は作曲家で指揮者の山本直忠、弟はパーカッション奏者の山本直喜と ファゴット奏者の山本直親、妹はオルガン奏者の湯浅照子、妻は作曲家の山本正美、長男は作曲家の山本純ノ介、次男はチェリストの山本祐ノ介[2]、その妻でピアニストの小山京子は山下洋輔の親戚[3]という音楽一家である。祖父の山本直良は実業家で軽井沢にある国の重要文化財旧三笠ホテル」の創業者であり、白樺派の小説家、有島武郎は大叔父に当たる。
代表作品[ソースを編集]
劇伴音楽[ソースを編集]
映画[ソースを編集]

暗黒街の美女(1958年)

打倒(1960年)

拳銃無頼帖シリーズ(1960年)

霧笛が俺を呼んでいる(1960年)

恐怖の魔女(1962年)

殺人鬼の誘惑(1963年)

男嫌い (1964年)

肉体の門(1964年)

くノ一化粧(1964年、東映)

雪国(1965年)

兵隊やくざ(1965年)

クレージー映画シリーズ

クレージー大作戦(1966年)※萩原哲晶と共作

クレージーのぶちゃむくれ大発見(1969年)※ラスト近くに大木広告社社長役で出演。クレージーのメンバーと共に「大きいことはいいことだ」を歌う。

日本一のヤクザ男(1970年)

日本一のワルノリ男(1970年)


殺しの烙印(1967年)

さそり (1967年、松竹)

関東も広うござんす(1967年)

七人の野獣シリーズ(1967年)

黄金の野郎ども (1967年、日活)

赤道を駈ける男 (1968年、日活)

男はつらいよシリーズ(1969 - 1995年)※一部作品を山本純ノ介と共作

ある兵士の賭け(1970年) ※フォーリーブスが歌う劇中主題歌の作曲も担当。

喜劇 猪突猛進せよ!!(1971年)

どうぶつ宝島(1971年)※ムッツリ役で特別出演

喜劇 女は男のふるさとヨ(1971年)

喜劇 女売り出します(1972年)

百万人の大合唱(1972年)

東京ド真ン中(1974年)

二百三高地(1980年)※音楽監督・指揮

原子力発電の夜明け

制覇(1982年)

ビルマの竪琴(1985年)

テレビドラマ[ソースを編集]

マンモスタワー(1958年、KR

青年の樹(1961年、TBS

七人の孫(1964年 - 1966年、TBS)

東芝日曜劇場「栄光の旗」(1965年、TBS)

天下の学園(1965年、フジテレビ

氷点(1966年、NET

わが心のかもめ(1966年、NHK

太陽の丘(1966年 - 1967年、NHK)

嫌い!好き!!(1966年 - 1967年、日本テレビ

男はつらいよ(1968年 - 1969年、フジテレビ)

甘柿しぶ柿つるし柿(1969年 - 1970年、TBS)


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