山本浩之_(アナウンサー)
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当時、病気療養中だったたかじん及び、それまで「副委員長」として出演していた辛坊治郎の代理扱いながら、KTV以外の放送局で初めてレギュラーを務めることになった[12]。なお、たかじんが2014年1月3日に死去した直後には、特別番組『たかじん追悼スペシャル そこまで逝って委員会』(同月25日放送)で辛坊・宮根誠司朝日放送出身のフリーアナウンサー)と共に司会を担当している。
ニュースキャスターからパーソナリティへ

2013年9月27日には、「世代交代」や山本自身の意向(前述)などを理由に、『アンカー』のアンカーマンを降板[13]2013年10月15日からは、毎週火曜日(2014年4月4日から金曜日)の夜間に、毎日放送(2021年4月以降の社名は「MBSラジオ」)の生ワイド番組『ヤマヒロのぴかいちラジオ』でメインパーソナリティを務めている[14]。ラジオ放送事業を運営していないKTVでアナウンサーとしてのキャリアを積みながら、毎日放送朝日放送のラジオ番組に何度もゲストで出演してきた(後述)山本にとっては、この番組が地上波ラジオ番組での初レギュラーになった。

さらに毎日放送では、2014年4月7日から、『アンカー』と放送時間の一部が重なる『ちちんぷいぷい』のレギュラーに山本を起用。山本は、月 - 木曜日放送分で、全編にわたってメインパーソナリティを務めた(2015年7月までは毎日放送アナウンサー・西靖との共同司会扱い)[15]

『ちちんぷいぷい』では、スタジオ進行(月 - 木曜日)やVTRリポート(水曜日 → 火曜日)などに加えて、『アンカー』のアンカーマン時代に携わっていた前述の取材も続けていた。2016年には、毎日放送が開局65周年記念特別企画の一環として10月13日(木曜日)から16日(日曜日)まで開催した「MBSプロデュース 豪華客船 神戸発着3泊4日の旅『ドリームズ・カム・クルーズ』」(クルーズ客船ぱしふぃっくびいなす」のチャーターによる有料のスペシャルツアー)の全日程に同行。『ちちんぷいぷい』『ヤマヒロのぴかいちラジオ』(いずれも毎日放送制作)『あっぱれ!屋久島ツアー 神秘の島でパワーをもらっちゃおうスペシャル』(同局および南日本放送との共同制作・相互ネットによる毎日放送開局65周年記念特別番組)向けの生中継に登場したほか、船内でのイベントにも出演した。

2017年には、古巣のKTVで2月7日の深夜(2月8日未明)に放送された『大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語Part2 天満駅編』で、テレビドラマへの主演デビューを果たした[16]

2019年には、3月16日の誕生日で57歳を迎えたが、同月21日(木曜日)で『ちちんぷいぷい』のメインパーソナリティを勇退。放送時間を短縮した同年の4月改編以降は、「今までにやったことがないことを60歳(2022年)までにやりたいので、(メインパーソナリティとしてスタジオで3時間55分もの生放送を進行するような)長い時間を要することや、しんどい(疲れる)ことは今後遠慮したい」という理由で、「ヤマヒロの人生初○○?いっぺん、これやってみたかってん?」や「ヤマヒロの京都美山里山ぐらし」(いずれも月曜日に放送されるロケ企画)のリポーターに専念していた[17]。その一方で、5月24日(金曜日)から26日(日曜日)までABCホールで上演された「黒田たもつPresents フードコートのランスちゃん」(公私共に親交の深いメッセンジャー黒田有の脚本によるオリジナル作品)で、舞台作品としては初めての主演を経験した。『ちちんぷいぷい』では2020年10月1日から「スポーツ偉人伝心」(月に1回のペースで木曜日に放送されていたアスリートへのインタビューロケ企画)を担当していたが、2021年3月12日(金曜日)で番組自体が終了。その一方で、三男・大貴のKTV入社が内定してからは、同局が制作・関与するテレビ・ラジオ番組で大貴との「父子共演」が相次いでいる。

なお、MBSラジオでは1974年4月8日(月曜日)から平日の午前中に50年間放送してきた『ありがとう浜村淳です』(平日版)を2024年3月29日(金曜日)で終了。翌週(4月1日)から、山本の新たな冠番組として、『ヤマヒロのぴかッとモーニング』という生ワイド番組を平日版の最終放送枠(8:00 - 10:00)に編成している[18]。山本が平日の帯番組をレギュラーで担当することは、テレビを含めても『ちちんぷいぷい』メインパーソナリティからの勇退以来5年振りである。
エピソード
新人アナウンサー時代のエピソード

KTVが
阪神甲子園球場から阪神タイガース(阪神)読売ジャイアンツ(巨人)のナイトゲームを中継していた日に、入社後、初めての宿直勤務に就いたところ、試合中にもかかわらず中継を打ち切ったことに対する苦情の電話を受けた。折しも当日は、阪神戦を試合終了まで中継する『サンテレビボックス席』(サンテレビ)でも同カードが生放送されていた。スポーツアナウンサーを志望していた山本は、中継の打ち切りをなじる相手を納得させようと、局内のモニターから流れるサンテレビの中継を見ながら試合の模様を即興で実況。山本が「試合終了、タイガース辛くも逃げ切りました」との言葉で実況を締めくくると、山本が新人のアナウンサーであることを知らない相手から、「感動した! 阪神の勝利の瞬間というのは、何回も目にしたことあるけど、受話器持って立ったまま聞いたのは初めてや。お前、結構喋んの上手いなぁ。アナウンサーでもなったらどうや!」という感想を告げられた。山本はこの即興実況を機に、アナウンサーとしての夢を「たった1人であっても、視聴者に感動してもらうこと」に定めるとともに、「いつか放送で阪神対巨人戦を実況したい」という決意を固めたという[19]。ただしKTVでは、阪神対巨人戦の実況を担当する機会のないまま、スポーツアナウンサーから報道番組のキャスターに転じている。

髪にまつわるエピソード

薄毛の男性ばかりの家系で育ったことから、学生時代から薄毛に悩んでいた
[20]。関西テレビへの入社を経て『アタック600』のキャスターに抜擢された頃には、局内で「20代なのに若々しさが無い」「お前、全然若々しくない」などと評されていたほど、頭髪がかなり薄くなっていた[21][22]。そこで、頭頂部の毛髪が薄くなっていた桑原征平(当時の先輩アナウンサー)からの勧めで、桑原が出演番組の生CMで紹介していたメーカーカツラを付けるようになった。山本は初めてカツラを付けた日のことを「人生、バラ色でした」と述懐している[21]。しかし、その後は常にカツラを気にするようになり、取材時には集中力の分散に悩まされるようになった[21]

ニュースキャスターとしての取材中に、頭上後方から突き出された集音マイクにカツラが引っ掛かったあげく、カツラがずり下がったことがある[21]

宮沢内閣衆議院の「嘘つき解散」に打って出た1993年6月18日には、国会議事堂内で武村正義(関西テレビの放送対象地域である滋賀県選出の衆議院議員で当時は自由民主党に所属)の囲み取材に臨んでいたところ、山本の後方から突き出されていた集音マイクが山本の側頭部をかすった。その弾みでカツラがずれたため、山本は無意識のうちにしゃがみ込むと、カツラの位置を元に戻した。30秒ほどで戻せたものの、その間に武村のコメントを聞き逃したため、後に上司から激しく叱責されたという[20]


トミーズ雅と共に司会を務めた生放送の特別番組で、番組内のマジックショーで使用したオウムが頭に止まったあげく、カツラの七三分けがセンター分けにずれてしまった。そこで山本は、トミーズ雅に番組の進行を委ねた上でスタジオから中座。トイレでずれたカツラを直した後に、スタジオに戻って司会を続けた[23]。フリーアナウンサーへ転身してからも、オウムがカツラの上から立てた鋭い爪の感触が、頭皮に残っているという[20]


関西テレビの社屋が西天満にあった頃、エレベーターで上岡龍太郎と会うことが多く、「君は男前やけど、髪の毛が少し薄くなってるのがちょっとな‥」と言われたことがあった[24]

1998年(平成10年)1月7日、『クロスファイア』の放送中に、自らがハゲであること、これまで番組にカツラをつけて出演していたことを告白した[21]
『クロスファイア』は硬派の深夜番組で、直近の出来事などを山本・前田日明玉木正之がスタジオで真剣に討論する模様を放送していた。その一方で、山本がカツラを着用していることは、関西テレビの局内で「公然の事実」とみなされていたという。山本自身は、カツラを外すことを決めてはいたものの、外しても何事もなかったかのように振る舞うつもりだった。しかし実際には、同番組のスタッフが「ヤマヒロがとうとうカツラを取る」という噂を局内で勝手に広めたあげく、当日の放送での討論テーマを「ハゲの時代」に急遽決定。最新鋭の照明機器と、7時間がかりの綿密なセッティングの末に、「カツラを外した状態で帽子をかぶった山本が、『実は私、ハゲてました』と言って頭を下げながら脱帽した瞬間に、レーザー光線を山本の頭へ容赦なく照射する」という演出を実現させた[20]。この一件は、ワイドショーやスポーツ新聞に取り上げられ、大きな反響を呼んだ[21]。更に深夜に放送されていた頃の『トリビアの泉 ?素晴らしきムダ知識?』でも紹介された[25]。山本のもとには、全国の視聴者から手紙が届き、ほとんどが告白を称賛する内容だったという[26]。『クロスファイア』では、「(放送で)真実を伝えるべきアナウンサーが(『頭がハゲている』という自身の)真実を(カツラで)隠していることへの疑問」を告白の理由に挙げていた。山本自身は後年、「アナウンサーという職業柄、プライベートでプールや銭湯へ行く時にもカツラを付けざるを得ず、遊園地では(カツラが強風で飛ばされることなどへの懸念から)息子たちと一緒にジェットコースターへ乗ることができなかった。そのような煩わしさに我慢できなくなったので、『アタック600』からの降板が決まったことをきっかけに、カツラを取ることを決めた」と述懐している[20]

『クロスファイア』での告白以降、「ハゲネタ」を武器にバラエティでさらなる活躍を見せるようになる。
『ナンボDEなんぼ』の「無駄ムダ調査隊」のコーナーでは、ムダブルーというキャラクターを担当し、ハゲハゲビームなる物を繰出していた[27]

他にも、「ハゲネタ」「ヅラネタ」と称する頭髪関連のエピソードは数知れない。トミーズ雅は、前述のハプニングの直後に山本から真相を聞かされると、「どんな笑いも勝たれへんやないか」と言いながら笑い転げた。また、山本に対して、冗談交じりで「その頭を売ってくれ」と言ったこともある[26]。これらのネタは彼がパーソナリティを務めるポッドキャスト「ヤマヒロのアナ Pod Cafe」などで、本人自身が赤裸々に告白している。

iPhoneのアプリケーションに、ヤマヒロ電球なる物が存在している[1]。これも、自身の「ハゲ」に因んでいる[1]

関西テレビアナウンサー時代の2011年から、林健(ギャロップ)と共に結成したサークル「PHK(Positive Hage no Kai=ポジティブ・ハゲの会)」の会長としても活動。現在では、佐野慈紀野球評論家)や畑中ふうナレーター声優)も、PHKの会員に名を連ねている[28]。ちなみに、フリーアナウンサーへの転身を機に設立した個人事務所の「PHカンパニー」のPHも、「Positive Hage」の頭文字である。

2015年9月21日月曜日敬老の日)には、『ちちんぷいぷい』のPRを兼ねて、阪神対東京ヤクルトデーゲーム(阪神甲子園球場)のファーストピッチに登場。前述のPHK会員である佐野から直々に伝授された「ピッカリ投法」[29] で場内を沸かせた後に、仕切り直しの1球でストライク投球を成功させた[30]

NIFREL大阪府吹田市EXPOCITY内で2015年11月19日から営業中の水族館)では、山本の頭から型を取ったオブジェ付きの「ぷいぷい水槽」を、開館当初から2019年初頭の館内リニューアルまで「『みずべ』にふれる」ゾーンの一角に据えていた。『ちちんぷいぷい』とのコラボレーション企画・豊崎由里絵(開館当時は毎日放送のアナウンサーで水曜アシスタント)のプロデュースによる水槽で、オブジェの頂部には、「山本の頭の上に髪の毛が生えている」というイメージで海藻を植えた[31]

初めて主演したテレビドラマ『大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語Part2 天満駅編』では、「妻の霊がカツラに取り憑いた男」というサブタイトルが付いたことを背景に、『クロスファイア』でのカミングアウトから19年振りにカツラを着用した姿を披露。


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