山本太郎
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2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では東京都選挙区(改選数5)から無所属で立候補、666,684票を獲得し4位で初当選した[21][22]。選挙に際しては、生活の党、社会民主党、緑の党グリーンズジャパン[23]新社会党[3][24] の各党の支援を受けた。

2014年2月に行われた第19回東京都知事選挙では、脱原発を公約した[注釈 1]共産党・社民党・新社会党・緑の党グリーンズジャパン推薦の宇都宮健児民主党結いの党・生活の党支援の細川護熙いずれへも表立っては支援せず[注釈 2]、脱原発候補への投票を呼びかけるに留めた[25]

結果は自民党都連・公明党都本部推薦、新党改革支援の舛添要一に大敗し、山本は「効果的な動きが出来なかった自分自身の不甲斐なさを感じる」と述べた[26]。また、細川について「細川さんはワイドショー選挙をできると思って、メディアを信じていたようだが、それは大きな間違いだ」と指摘しつつ、「反旗を翻したファイティングスピリットは感動した」と脱原発を公約したことを評価した[27]

2014年(平成26年)3月19日に「新党ひとりひとり」への名称変更を総務省へ届け出た[28]。目標は脱原発勢力を結集させる国政政党を作ること。今後は各地の国政選挙、地方選挙に候補者を擁立していくことを目指すとしている[29]

2014年4月に衆議院鹿児島2区で行われた補欠選挙介護福祉士で脱原発活動家の有川美子[30] を党として公認した。結果は日本共産党の候補者を上回る票を得たが[31]、6人中3位で落選。日本共産党の候補者と票が割れたことが原因であった。

2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙では、東京8区から立候補した民主党の円より子への支援を表明したが結果は落選した(石原伸晃が当選)。選挙後、山本は政党要件を失っていた生活の党に入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めさせた[32][33]。また、山本は「無所属の会」を提案したが、小沢一郎は「生活」の名を残すことは譲れなかったので、この名前になったともいう[34]

2015年1月より内閣委員会行政監視委員会東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会、国の統治機構に関する調査会 に所属[35]

2016年7月の第24回参議院議員通常選挙では東京都選挙区(改選数6)から無所属で立候補した三宅洋平を支援(結果は落選)[36]

同年10月12日、「生活の党と山本太郎となかまたち」が「自由党」に党名変更を決定したことにともない、党籍を自由党に置いたまま、自身の政治団体「山本太郎となかまたち」から次期衆議院選挙で東京ブロックで候補者擁立をめざすことを表明した[37] が、最終的には擁立を見送った。

2018年10月、フランスの「人民共和連合」党首と国際情勢に纏わる意見交換が行われた[38]
2019年参議院議員選挙

2019年4月10日、夏の参議院議員選挙に向けて同月下旬に自由党を離党する一方、新たに政治団体「れいわ新選組」を設立[39][40]

同年7月に行われた第25回参議院議員通常選挙に比例区より立候補、比例区の全候補者で最多となる991,756票[41][42][43] の個人名票を得るも落選(山本以外の候補者2人が「特定枠」で優先して当選したため)[44]。「れいわ新選組」の得票率が4.6%であったことから[45]、政党要件を満たした「れいわ新選組」の党代表となる[46]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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