山本圭一
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高校卒業後上京し、天宮良が在籍していた当時日本一有名なショーパブだった「タップチップス」の面接に合格して修行したが病気になり一度広島に戻る、20歳の時再び上京し有名になりたいと「東京ヴォードヴィルショー」の面接を受け再び合格して在籍、ここで加藤浩次と出会い加藤の本名が“浩二”と聞き運命的なものを感じて[注 1] コンビを組む[2]

1989年、月謝の滞納が続き金銭的に苦しいと思っていた所、雑誌の切り抜きに“吉本興業、東京進出! 新規芸人募集!”の広告記事が目に付いて、これに飛び付き加藤とともに吉本興業入りし「極楽とんぼ」を結成[2]1994年に開場した銀座7丁目劇場の最古参メンバーとして『新しい波』、『とぶくすり』などの深夜バラエティに出演し、東京吉本の土台を作ったと評される[3]田村淳を始め、銀座7丁目劇場出身者を中心に慕う芸人が多いのはこの理由といわれる[3][4][5]。『新しい波』のディレクターだった片岡飛鳥に舞台で見出され、前記、めちゃイケの前身『とぶくすり』出演でブレイクした[2]

その後、様々なバラエティ番組でお笑いタレントとして活躍する一方、映画『黄泉がえり』『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』、テレビドラマ『ナースマン』『独身3!!』等で俳優としても活躍していた。
不祥事、吉本興業との契約解除

2002年11月2日桜美林大学の学園祭に出演した際にステージ上で下半身を露出し、公然わいせつ罪容疑で警視庁町田警察署から書類送検された。相方の加藤浩次も公然わいせつ幇助容疑で同じく書類送検され、両者は吉本興業から厳重注意を受け、当時出演中だった『天才てれびくんワイド』を降板した[6][7]

2003年6月10日、山本は交際していたというホステスの女性(当時23歳)が「オレの名前に傷がつくなどと人工妊娠中絶を求められた」と告発するインタビュー記事がFLASHに掲載された。吉本興業は掲載前夜の6月9日、マスコミ各社に「交際並びに妊娠の事実と、双方の条件面での同意・承諾をもって中絶の事実を確認しております」とコメントするファクシミリを送った。山本は「たびたび、お騒がせして申し訳ありません。今回の件では何を言っても言い訳になってしまうので、批判を率直に受け止めて、これからの人生に生かしていきたいと思います」とコメントした[6][7]

2006年7月16日から7月17日にかけて、山本は所属していた茨城ゴールデンゴールズの試合のために滞在していた函館市内のビジネスホテルで[1][8]、現地でナンパをした17歳の未成年の少女と宴会をして飲酒及び性行為を行った[8][9]。少女は「性行為に同意はなかった」として親と一緒に被害届を函館西警察署に提出した。

2006年7月18日、山本は強姦の疑いで警察署から任意聴取を受け、直後に吉本興業から専属マネジメント契約の解除を通告された[6][10]。吉本興業は文書で「本日、弊社は、山本の専属芸能家契約の解除をいたしました。その理由は、未成年者との飲酒行為及び性的暴行を行ったためです」とのコメントを発表した[6]。山本は「合意はあった」と容疑を一部否認したが[8]、同月29日に書類送検された。被害者との間に示談が成立し、最終的に不起訴処分となった[9]
不祥事による主な番組対応

おはスタ(テレビ東京)
山本が演じていたキャラクター『やまっちゃま』が木曜レギュラー出演者であった事や事件には一切触れない対応をし、2006年9月から新キャラクターとして『せとくん(演:瀬戸康史)』を後任に起用した。また、山本演ずる『やまっちゃま』は「謎のアタッシュケース」を所有している設定があり、様々な伏線を残していたが、不祥事によりその全てが帳消しされ、打ち切りとなった。不祥事前までは山本がメルヘヴンのカードゲームでおはガールと対決するコーナーがあり、毎回山本が敗れるのがお決まりとなっていたが、不祥事直後の回ではMCの山寺宏一が臨時でその役割を務めた。

ゴチャ・まぜっ!火曜日(MBSラジオ)


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