山本哲士
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2013年 - 「国際ホスピタリティ研究センター」を「ジャパン・ホスピタリティ・アカデミー」へ改組、ジェネラル・ディレクターに。

2017年- 「文化資本学会」設立、学会長。

2019年- 一般財団法人「 ⇒日本国際高等学術会議」を設立、理事長。2020年7月、「新資本経済学会」を設立、若い企業人たちに運営を任せている。

活動
オンデマンド出版&出版局設立

山本は、自分が書いた1,500頁の書『哲学の政治 政治の哲学』(空間消費学校病院国家権力情報無意識言語身体セックスジェンダー民俗ナショナリズム市民社会エスニシティ革命社会主義批判と総体にわたる世界理論の検証)は、商品にならない「資本」の産出だとしているが、ナショナル市場を前提にした商品出版に代わって、市場が限定され、定価もないものづくりとしてオンデマンド出版を「資本の経済」であるとして、現実における実行を試みる。そして2006年、文化科学高等研究院出版局として出版社を研究所に併設。吉本隆明が賛同して吉本は『心的現象論・本論』を提供し、2008年に出版された[17]

山本は、研究者たち自身によって少部数の生産をなしている、量産ではない、少部数でも一部でも生産可能な文化経済が、知の創造においては必要だという。そして、この取り組みは、これからの経済/ビジネスの範例となりうるものであるとしている。

2021年には、文化普及をなす「知の新書」シリーズを監修者として発刊し始めた。
大学をこえる研究機関の運営

1990年、文化科学高等研究院を東京に設立し、企業、クリエーター、学者の協働研究プロジェクトを実施[18]。かつジュネーヴに国際学術財団文化科学高等研究院(FEHESC)を創設、近代学問体系の転換を海外研究者たちと協働し、さらに国際ホスピタリティ研究センターを日本に創設(2013年に ⇒Japan Hospitality Academyへ改組)、ホスピタリティ教育・研究のシステムをつくり、大学をこえる研究機関を運営。パリの社会科学高等研究院(EHESS)の研究者たちをはじめ世界の学者たちが協力し[19]ローザンヌホテル大学のEHLITE研究所が協力した。

学者、クリエーター、企業人たちと協働する文化資本学会を設立、さらに一般財団法人「日本国際高等学術会議」を設立し、研究年報『文化資本研究』(no1.「文化資本とホスピタリティ」)を創刊、超領域的専門の学術生産を遂行しながら、専門職大学院「日本資本ホスピタリティ大学院」の設立へ向けた活動をなしている。

商品経済に代わる「資本経済」、社会統治に代わる「場所環境統治」、サービスに代わる「ホスピタリティ」技術、主語制言語様式に代わる「述語制言語様式」の探究とその転移への実際化をなす知的資本形成をはかっているほか、学者・研究者自身が研究生産マネジメントをなすべきことを強調する(『聖諦の月あかり』)。
その他

山本が考案した「場所カード」という場所環境づくりのクレジットカードが「筑後川カード」として機能している(『文化資本論』)。

また、企業環境学、ファッション環境学、ツーリズム環境学が大学で講義されていた。趣味で篠笛・真笛を吹く、自分の見出した非分離・述語制・場所の哲学に合致する日本の文化技術があると語る(『聖諦の月あかり』)。
発言
プロ野球

プロ野球においては野村克也森祇晶の野球監督としての能力は認めてもそれはアマチュア野球をプロ化する監督であってプロ自体(山本の言葉で言う所の「観客のことを考えて」と言う意味でのプロ。プロ技術とその自律精神。)の監督には値しないとみなしている(山本の言葉で言うと、アマ・プロの境界線は、うまい下手、それで生活するしない、金銭的な問題が大きく発生する、などの問題ではなく、プロ技術とそのエンターテイメント性の有無〈観客が存在するか、しないか〉である。)。

このため、2000年秋に横浜が森を監督に招聘したときには「月刊ベイスターズ」誌上で森招聘反対論を唱えたために、球団オーナーが自ら山本の説得にあたることとなった。だが、山本の危惧どおり横浜の球団風土に無関心な森の手法は球団の弱体化と観客動員の減少を招き、2年後に山本が再度同誌上で森退陣勧告を書いた後を追うかのように、同監督の休養が決まった。

しかし、山本が期待した後任の生え抜き監督である山下大輔によるチームの再建については、失敗に終わっている。このことについて山本はホエールズ、ベイスターズの生え抜き選手を絶対に批判しないとファン精神を貫いた[20]

スポーツ社会学会の研究年報で、山本のスポーツ論が述べられている[21]。プロ・スポーツはファンへのホスピタリティが重要であり、社会的規制を受けながら、同時に政治・経済、さらに世界情勢への先行的象徴の牽引力をもつと説く[22]
著作
単著

『学校・医療・交通の神話』(
新評論, 1979年)

『消費のメタファー 男と女の政治経済批判』(冬樹社, 1983年、新版1990年)

『教育の分水嶺』(三交社, 1984年)

『学校の幻想 幻想の学校』(新曜社, 1985年)

『学ぶ様式』(新曜社, 1986年)

『ディスクールの政治学 フーコー・ブルデュー・イリイチ』(新曜社, 1987年)

『超領域の思考へ』(日本エディタースクール出版部, 1988年)

『コンビビアルな世界 メヒコからみえてくるもの』(日本エディタースクール出版部, 1990年)

『ジェンダーと愛』(新曜社, 1990年)

『消費の分水嶺』(三交社, 1990年)

『フーコー権力論入門』(日本エディタースクール出版部, 1991年)

『社会科学理論研究』(文化科学高等研究院出版局, 1992年)

『デザインとしての文化技術』(文化科学高等研究院出版局, 1993年)

『ピエール・ブルデューの世界』(三交社, 1994年)のち増補版 

『フーコーの〈方法〉を読む』(日本エディタースクール出版部, 1996年)

『学校の幻想 教育の幻想』(ちくま学芸文庫, 1996年)


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