環状運転開始当時のダイヤは、基本的に毎時5本(12分間隔)で運転され、一周の所要時間は72分、池袋駅‐赤羽駅間(現在の赤羽線)の所要時間は10分であった。このほか、通勤時間帯には臨時電車が運転されたほか、田端駅 ‐ 田町駅間は京浜線電車も運転されていた[31]。
戦後、復興に伴う輸送量の増大で山手線、京浜線とも増発が行われ、1956年11月19日から共有だった両者の線路(田端駅 - 田町駅間:11.7 km)を分離し、内側を環状運転を行う山手線、外側を往復運転を行う京浜東北線(分離時に改名)が走るようになった[32]。
1972年(昭和47年)には、当初山手線本線であった赤羽駅 - 池袋駅区間の線路名称が赤羽線に変更された。赤羽線は山手線の本線として運営されてきたため、池袋駅では10両編成化に伴う新ホーム設置(現行3・4番線)までは山手線外回り始発電車ホーム(現行8番線)を発着していた。ラインカラーもかつて山手線で使われていた「カナリア(黄色)」が、山手線が「ウグイス(黄緑色)」に塗装変更されたあとも使われた。1985年(昭和60年)9月30日、赤羽線は埼京線の一部として運行される現在の形態に移行した[33]。
車両は1960年代初めまでは72系が使用されていたが、1961年(昭和36年)からカナリア色の101系が使用された。その後、1963年(昭和38年)からウグイス色の103系が主力となったが、老朽化のため1988年(昭和63年)6月で運行を終了し、205系にすべて置き換わった。このとき導入されたサハ204形が6扉車の初めである[34]。この後、E231系500番台に置き換わったが[8]、6扉車はサハE230形500番台として継承された。しかし、ホームドア設置のため6扉車は2011年(平成23年)9月4日に全車運用を離脱し[35]、廃車となった。2015年(平成27年)からはE235系が運行を開始した[新聞 2]。
年表
日本鉄道国有化前山手線の運行系統の変遷
*が付いている駅は、のちに路線分離により赤羽線の駅となった駅。
1872年(明治5年)
6月12日:官設鉄道 品川駅 - 横浜駅間鉄道仮営業。品川駅開業。
10月14日:新橋駅 - 横浜駅間本開業。新橋駅(初代)開業。
1883年(明治16年)7月28日:日本鉄道 上野駅 - 熊谷駅間開業。上野駅開業。
1885年(明治18年)
3月1日:日本鉄道品川線 品川駅 - 赤羽駅間(12 M75 C50 L≒20.83 km)開業。渋谷駅・新宿駅・板橋駅*開業。
3月16日:日本鉄道品川線 目黒駅・目白駅開業。
1890年(明治23年)
1月25日:MCL表示からMC表示に簡略化(12M75C50L→12M76C)。
11月1日:日本鉄道 上野駅 - 秋葉原駅間貨物線開通。秋葉原駅(貨物駅)開業。
1894年(明治27年)8月:のちの大井聯絡所とのちの大崎駅を結ぶ軍用線が竣工開業(1901年貨物線となる)。
1896年(明治29年)4月1日:日本鉄道 田端駅開業。
1901年(明治34年)
2月25日:日本鉄道山手線 大崎駅・恵比寿駅(貨物駅)開業。
3月15日:官設鉄道 大井聯絡所 - 大崎駅間で貨物列車運行開始。
8月1日:官設鉄道 大井聯絡所 - 大崎駅間(72 C≒1.45 km)が正式に開業。
8月8日:日本鉄道が定款を変更し、品川線(品川駅 - 赤羽駅間)と豊島線(池袋駅 - 田端駅間、このとき未開業)を統合し山手線とする[28][注釈 5]。
1902年(明治35年)
5月10日:日本鉄道山手線 目白駅 - 板橋駅間に池袋信号所を開設[27]。
11月12日:MC表示からマイル表示に簡略化(品川駅 - 赤羽駅間 12 M76 C→13.0 M、大井駅 - 大崎駅間 72 C→0.9 M)。