山手線
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1909年(明治42年)10月12日の各鉄道路線に路線名が付与された際は、池袋駅 - 赤羽駅間も含め現在の山手線区間(品川駅 - 池袋駅 - 田端駅間)と合わせて東北線の部 山手線となった[25][29]。この当時は、池袋駅より北側は現在の赤羽線を経由して赤羽駅までが山手線本線、旧豊島線区間は山手線の支線であった[30]。その後、同年12月16日に烏森駅(現・新橋駅)が開業し、烏森駅 - 新宿駅 - 上野駅間が電化され、電車の「C」の字形運転が開始された[21]。このとき、品川駅 - 烏森駅間は京浜線(現在の京浜東北線)に乗り入れる形をとっていた。東海道本線が東京駅まで延伸開業し、中央線も同駅まで延伸されると、中央線と山手線を接続し、中野駅 - 新宿駅 - 東京駅 - 品川駅 - 新宿駅 - 池袋駅 - 田端駅 - 上野駅間で「の」の字運転が開始され、このころから現在の赤羽線区間が山手線枝線の運行形態になった。1923年関東大震災で一時中断したが、1924年4月25日までこの形態は続いた。1925年大正14年)11月1日に東北本線の秋葉原駅 - 神田駅間が完成し、東京 - 上野間が高架で複線化されたときに中央線への乗り入れは中止され、環状運転が開始された。このとき、京浜線も田端まで延伸されている[3]

環状運転開始当時のダイヤは、基本的に毎時5本(12分間隔)で運転され、一周の所要時間は72分、池袋駅‐赤羽駅間(現在の赤羽線)の所要時間は10分であった。このほか、通勤時間帯には臨時電車が運転されたほか、田端駅 ‐ 田町駅間は京浜線電車も運転されていた[31]

戦後、復興に伴う輸送量の増大で山手線、京浜線とも増発が行われ、1956年11月19日から共有だった両者の線路(田端駅 - 田町駅間:11.7 km)を分離し、内側を環状運転を行う山手線、外側を往復運転を行う京浜東北線(分離時に改名)が走るようになった[32]

1972年昭和47年)には、当初山手線本線であった赤羽駅 - 池袋駅区間の線路名称が赤羽線に変更された。赤羽線は山手線の本線として運営されてきたため、池袋駅では10両編成化に伴う新ホーム設置(現行3・4番線)までは山手線外回り始発電車ホーム(現行8番線)を発着していた。ラインカラーもかつて山手線で使われていた「カナリア(黄色)」が、山手線が「ウグイス(黄緑色)」に塗装変更されたあとも使われた。1985年(昭和60年)9月30日、赤羽線は埼京線の一部として運行される現在の形態に移行した[33]

車両は1960年代初めまでは72系が使用されていたが、1961年(昭和36年)からカナリア色の101系が使用された。その後、1963年(昭和38年)からウグイス色の103系が主力となったが、老朽化のため1988年(昭和63年)6月で運行を終了し、205系にすべて置き換わった。このとき導入されたサハ204形が6扉車の初めである[34]。この後、E231系500番台に置き換わったが[8]、6扉車はサハE230形500番台として継承された。しかし、ホームドア設置のため6扉車は2011年(平成23年)9月4日に全車運用を離脱し[35]、廃車となった。2015年(平成27年)からはE235系が運行を開始した[新聞 2]
年表
日本鉄道国有化前山手線の運行系統の変遷

*が付いている駅は、のちに路線分離により赤羽線の駅となった駅。

1872年明治5年)

6月12日:官設鉄道 品川駅 - 横浜駅間鉄道仮営業。品川駅開業。

10月14日:新橋駅 - 横浜駅間本開業。新橋駅(初代)開業。


1883年(明治16年)7月28日:日本鉄道 上野駅 - 熊谷駅間開業。上野駅開業。

1885年(明治18年)

3月1日:日本鉄道品川線 品川駅 - 赤羽駅間(12 M75 C50 L≒20.83 km)開業。渋谷駅・新宿駅・板橋駅*開業。

3月16日:日本鉄道品川線 目黒駅・目白駅開業。


1890年(明治23年)

1月25日:MCL表示からMC表示に簡略化(12M75C50L→12M76C)。

11月1日:日本鉄道 上野駅 - 秋葉原駅間貨物線開通。秋葉原駅(貨物駅)開業。


1894年(明治27年)8月:のちの大井聯絡所とのちの大崎駅を結ぶ軍用線が竣工開業(1901年貨物線となる)。

1896年(明治29年)4月1日:日本鉄道 田端駅開業。

1901年(明治34年)

2月25日:日本鉄道山手線 大崎駅・恵比寿駅(貨物駅)開業。

3月15日:官設鉄道 大井聯絡所 - 大崎駅間で貨物列車運行開始。

8月1日:官設鉄道 大井聯絡所 - 大崎駅間(72 C≒1.45 km)が正式に開業。

8月8日:日本鉄道が定款を変更し、品川線(品川駅 - 赤羽駅間)と豊島線(池袋駅 - 田端駅間、このとき未開業)を統合し山手線とする[28][注釈 5]


1902年(明治35年)

5月10日:日本鉄道山手線 目白駅 - 板橋駅間に池袋信号所を開設[27]

11月12日:MC表示からマイル表示に簡略化(品川駅 - 赤羽駅間 12 M76 C→13.0 M、大井駅 - 大崎駅間 72 C→0.9 M)。


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