山手線
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朝ラッシュ時の混雑率が250%を越えていた時期もあったが、地下鉄網の発達や並行する山手貨物線の旅客化(埼京線湘南新宿ラインの開業)[13]、山手線自身の6扉車導入による11両化[14]上野東京ラインの開業など、新線開業が相次いだことにより混雑は大幅に緩和された。2015年度以降の朝ラッシュ時混雑率は外回り、内回りとも170%を下回っている(利用状況の節も参照)。

なお、上野駅 - 東京駅間は、東北本線の列車線が敷設され、1973年3月末まで一部の中長距離列車が東海道本線と直通運転されていたが、東北新幹線上越新幹線の将来的な東京・上野方面への乗り入れのための用地確保に伴い直通運転が一度中止され、1983年に列車線の線路が分断された後、上野東京ラインによる再接続までの約43年間は、並走する京浜東北線と山手線が同区間の接続を担っていた。

通勤などビジネスや通学、買い物といった日常生活のほかに、訪日外国人を含めた観光目的での利用も多い。JR東日本も観光での利用者開拓に力を入れており、2017年に山手線プロジェクトチームを設置。山手線を「東京感動線」と称して、2018年から沿線の文化や店舗を紹介するフリーマガジン『TOKYO MOVING ROUND』を配布するなどしている[15][16]

なお、環状運転系統としての平均駅間距離は1.15 kmである[注釈 4]
路線名の読み方

山手線の読み方は、対義語である山の手下町からの「やまのてせん」であり、太平洋戦争前も「やまのてせん」と読んでいた。開業時の申請書には表記を「山ノ手線」とする旨が書かれており、開業時表記は「山手線」となったが、読みは「やまのてせん」だった。ところが終戦直後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の指示により、鉄道施設や道路標識などにローマ字併記が進められた際、山手線には国鉄部内での通称だった「ヤマテ」につられて「YAMATE=Loop=Line」とローマ字を振ったことがきっかけとなり、その後「やまてせん」という読み方が一般に定着してしまった[17]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}読み方が「やまのてせん」に戻ったのには2つの理由がある。1つは1970年から始まったディスカバー・ジャパンキャンペーンで、駅名や路線名を分かりやすいようにしようとする動きが起こったためである。もう1つは、群馬県の長野原線が大前駅まで延伸開通した際に路線名を「吾妻線(あがつません)」に改称したことである。吾妻線が「あづません」と読み間違えられるのを防ぐため、[要出典]国鉄では全路線の線路名称にふりがなをつけることを決定。山手線には「やまのてせん」というふりがなを振り、吾妻線が大前駅まで開通した1971年3月7日から実施した[18]。国鉄当局が「やまのてせん」を選択して復活させた理由は、線名の由来・発祥からして、「やまのてせん」の方が伝統的に正しいことと[19]、田端駅 - 品川駅で並走する京浜東北線の直通先の根岸線にある山手駅(やまてえき 1964年5月開業)との混同を避ける(京浜東北・根岸線の「山手行き」と勘違いさせない)ためである。これに伴い、その趣旨を徹底させるため、電車に掲出される方向幕の行先表示は、漢字表記は「山手」を「山手線」に、ローマ字表記は「YAMATE」を「YAMANOTE LINE」と改めた[17]
歴史.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}1925年に環状運転を開始したときの山手線。上野駅に進入する外回り電車。1988年まで使用されていた103系電車。写真は1974年から製造されたATC対応車。
(1985年3月3日 有楽町駅)2005年まで使用されていた205系電車
(2003年2月2日 田端駅)2020年まで使用されていたE231系電車
(2006年 御徒町駅 - 上野駅間)2015年から使用されているE235系電車
(2021年 高輪ゲートウェイ駅)

山手線はもともと、日本鉄道が現在の東北本線および東海道本線を連絡するために品川駅 - 赤羽駅間の山の手に敷設した線路であった。東京市街地の拡大に伴い、市街をめぐる大都市の基幹交通路線に性格を変えていった。電車が運行を開始したのは1909年明治42年)[20]、現在のように環状運転が実施されるようになったのは関東大震災後の1925年大正14年)のことである[3]

日本鉄道品川線と呼ばれたこの路線は、港があった品川・横浜方面と東京の北側を結ぶ日本鉄道第一区線の一部として計画された路線であった[21]


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