山崎製パン
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沿革
創業

1948年飯島藤十郎千葉県船橋市本町のマツマル製パンで修行し「山崎製パン所」を開設した。マツマル製パンは、現在の三菱UFJ銀行船橋支店の場所にあった。配給小麦の製パン加工委託をコッペパンから始め、後にロシアパンなど菓子パンも製造している。当時は食糧管理制度下で製パン業が厳しく統制され、創業者の飯島藤十郎は理事を務めていた東台農事実行組合でパン製造に関わっていたため「飯島」名義では許可が下りず、未亡人となっていた妹の嫁ぎ先の姓である「山崎」名義で許可を得た。商号が「山崎製パン」となったのはこの経緯による。
年表

1948年昭和23年)

3月 - 創業者飯島藤十郎により千葉県市川市に山崎製パン所を開業、パンの委託加工を開始した。

6月 - 山崎製パン株式会社を資本金百万円をもって千葉県市川市に設立。


1949年(昭和24年)8月 - 一般消費者向けの和菓子製造を開始。

1950年(昭和25年)8月 - 一般消費者向けの洋菓子製造を開始。

1955年(昭和30年)1月 - ナイロン包装のスライス食パンを商品化した。

1963年(昭和38年)9月 - 千葉製粉傘下の川口パンを買収し「山崎製パン千葉工場」に商号変更した[注 2][3][4]

1966年(昭和41年)

6月1日 - 山崎製パン大阪工場を設立して関西に進出[注 2][3][4]

6月 - シンボルマークの「太陽マーク」、シンボルキャラクターの「スージーちゃんマーク」を使用開始。

7月 - キャッチフレーズ「世界のパン・ヤマザキ」を使用開始。


1967年(昭和42年)

3月 - 名古屋工場[注 3]を稼働。東海地方に進出[5]

7月 - スーパーヤマザキ設立[5]


1968年(昭和43年)

4月 - 山崎製パン福岡工場を設立して九州地方に進出[5]

6月 - 秋田県の製パン会社であるたけや製パンと業務提携。東北に進出[6]


1970年(昭和45年)10月 - アメリカ合衆国ナビスコ社(現:モンデリーズ・インターナショナル)、ニチメン(現:双日)と合弁で菓子製造販売会社「ヤマザキナビスコ」を設立する。

1971年(昭和46年)4月 - 西日本近畿中国四国・九州)の製造・販売各社を株式会社関西ヤマザキに合併する。

1973年(昭和48年)11月 - 本社を東京都墨田区から千代田区岩本町3-2-4へ移転。「山崎製パン千葉工場」を吸収合併。

1977年(昭和52年)12月 - 直営コンビニエンスストア「サンエブリー」[注 4]を設立し、パン以外の多角的経営も行なう。

1983年(昭和58年)5月 - 「ヴィ・ド・フランス」としてベーカリーカフェ事業開始。フランスの製粉会社グラン・ムーラン・ド・パリ社と技術導入提携を行ない、山崎製パンの事業部としてスタート。

1986年(昭和61年)1月 - 株式会社関西ヤマザキを吸収合併[5]

2001年平成13年)7月 - ヴィ・ド・フランスを分社化し完全子会社とする。

2006年(平成18年)7月19日 - 経営再建中の東ハトの株式をユニゾン・キャピタルバンダイナムコホールディングスから取得し子会社化した[7][8]

2007年(平成19年)

2月5日 - 期限切れ原材料使用問題で生産停止している不二家の救済策として衛生管理などの業務支援を発表[9]

4月11日 - 不二家と資本提携して持分法適用会社(35%出資)とする。


2008年(平成20年)11月27日 - 不二家を連結子会社化。

2013年(平成25年)7月1日 - 連結子会社の株式会社デイリーヤマザキを吸収合併し、社内カンパニーのデイリーヤマザキ事業統括本部としてコンビニの経営に本格参入した[注 5]


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