この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2009年10月) 太字はメインキャラクター。
英検2級、スペイン語検定4級所持。大学卒業後から現在に至るまで、時間の許す限りラジオのスペイン語講座を聞き続けているという。スペインには過去2回短期留学した(これはミュージカル研究会に没頭するあまり、大学での授業の単位を落としそうになったための策と語っていた)。スペイン語を選択したのは、スタートの時点で差がないため(ほとんどの人は大学から始めるので)選んだと本人はコメントしている。
中学生の頃は吹奏楽部にてクラリネット、高校時代は器械体操を経験。
特徴のある声は地声であり、自らは「ヘリウムボイス」と称している。学生時代は「変な声の人」として存在が知られていたようで、高校時代には用務員に「声変わりしないのか」と心配されたほど。就職活動でフジテレビのアナウンサー試験を受けた時には、面接官に「今は声優も需要があるから」と声優になることを勧められた[6]。
上記の特徴的な声から、金田朋子としばしば比較される。共演している声優からも、「(彼女と)顔も似てるけど性格が全然違う」と言われており、仕事では一度も会ったことがないため共演を希望していたが[8]、なかなかその機会に恵まれなかった。2015年になってようやくNHKのテレビ番組『ワラッチャオ!』での共演が実現した[9]。
大学時代にミュージカル研究会に入って以降、舞台の世界にのめり込むようになる。卒業の際に「あと2年やらせて下さい、反対されてまではやりませんから」と父を涙ながらに説得したほど。しかし母には「あの時の涙は演技じゃないのか」と言われ続けている[6]。
先のミュージカル研究会に在籍していた時、「ダンス部長」となり、振付全般の考案・指導を担当していた。また、ピアノを生かした作曲も積極的に行っていた。大学卒業間近に、とあるイベントにてミュージカル研究会の先輩でもある振付師の香瑠鼓と出会い、2年ほど彼女の指導の下ダンサーを請け負ったり、振付指導に出向いたりとダンス関係の仕事をこなしていた[6]。
現在の芸名になった理由は、CD『牛ちゃんマンボ』を出した際、「牛といえばミルク、ミルクといえばバニラ」という事務所スタッフの連想から。最初は嫌だと言ったのだが、事務所の社長に「字画が良いから」と説得され、しぶしぶ使用することとなった[6]。
趣味は映画鑑賞(劇場・ディスクなど場を問わず、月10作品以上は鑑賞している)、読書、将棋(日本将棋連盟 初段)など。
2008年から、苗字表記に異体字を採用し「山ア」(「崎」は山偏に竒)とする変更が見られる(ただし本名に関しては公式サイトでも異体字に切り替えておらず、表記のバラツキが見られる)。
パソコンを趣味とし、自ら自作するほど。現在は週刊アスキーでも連載を持つ。
2011年4月11日、白石市観光大使に就任。
出演
テレビ
情報ワイド ゆうがたGet!(テレビ信州、映画特集プレゼンター、不定期に出演)
日めくりタイムトラベル (NHK BS、2007年4月 - 2011年3月、月1回放送)
サッカープラネット (NHK BS1、2013年4月 - 2014年3月、「サッカー熱狂事件簿」コーナー担当)
過去の出演
ゆうがたGet!プラス1(テレビ信州、2002年 - 2005年) - 法律相談紙芝居コーナーレギュラー出演
Cinema猿(日本テレビ、2003年 - 2004年) - オープニング出演
金曜エンタテイメント 西村京太郎サスペンス お局探偵亜木子&みどりの旅情事件帳6(フジテレビ、2003年6月6日)
帰ってきたロッカーのハナコさん 第9話(NHK、2003年10月20日)
ヒノマルデショ
キスゴンえいごハウス