山城から平山城・平城に移行するにあたっては、麓に新たに主郭を築いて旧来の山城を「詰の城」とする例(萩城など)や、城郭を低い丘や平地に移転する例(備後福山城など)があった。また小田原城のように、元々は山城であったものが城と麓の城下町が拡張を繰り返した結果、両者が一体化し、城下町全体を惣構えで囲んだ大規模な平山城に発展した例もある。
勿論、すべての山城を平山城や平城に置き換える必要はなかった。平城化は、大名自身が居住する大規模な居城にとどまり、各地の山城は健在であった。また一部では、従来の山城のまま平山城・平城に移行しなかった場合もある。こうした山城の中には、石垣を導入したり火縄銃などに対応するために、むしろ従来より発展した例もある。例えば西国においては、放射状竪堀の導入が盛んになった。さらに従来の木柵ではなく平山城や平城の建築様式を取り入れ、狭間をもつ土塀で囲まれた、さながらトーチカのような鉄壁の要塞と化した山城もある(鷹取城など)。
城のほとんどが平山城・平城に移行するのは、一国一城令によって各地の山城を破却する江戸時代以降になる。ただし、江戸時代の大名の居城においても、山麓の居館と戦闘時に立て篭もる背後の山城の組合せという中世的様式を受け継いだ城も多く、伊予松山城、鳥取城、津和野城などがこれにあたる。萩城のように平城移行後も、山城時代の建造物を「詰の城」として残置したものもある。仙台城のように、江戸時代に入ってから山城を建造し、後に拡張により平山城に移行した例もある。 特に著名な日本の山城を取り上げた「日本五大山城」がある[4][5]。 日本五大山城令制国名城名主な城主所在地 小谷城の代わりに八王子城を入れた「日本五大山岳城」(2004年)もある[6]。 日本五大山岳城令制国名城名主な城主所在地 すべて国の史跡に指定されている。 山城という区分は、上記の通り日本の独自用語である。しかし山岳部に建設された施設という概念で当て嵌まる海外の城は、存在する。 近世以前に建設された海外の山城としては、例えば古代ギリシアのアクロポリスが有名である。また防衛施設かは、不明であるが南米のマチュピチュも広く知られている。さらに古代ローマ帝国のユダヤ反乱において使用されたマサダ要塞は、周囲を絶壁に囲まれ、難攻不落とされた。他にもクラック・デ・シュヴァリエなどが挙げられる。 やや、この概念から外れるもののノイシュヴァンシュタイン城は、近世以降の有名な海外の山城の一つと言える。 古代ローマは、パラティヌスの丘と他に幾つかの丘を防衛施設として建設された。ローマ市民は、外敵の攻撃から逃れるため、この丘を利用した。つまりローマ市そのものが山城であると見做すことも出来る。特にパラティヌスの丘は、建国の祖ロムルスと結びついていた。またローマ市民が元老院と対立して聖山事件を起こした。この時、アウェンティヌスの丘に市民たちは、立て籠もったとされる。さらに同じローマ市内にあるヴァティカヌスの丘に後世、聖天使城とサン・ピエトロ寺院が建設され、中世から近世に至るまでローマが攻撃を受けた時に要塞として使用された。これは、現在、バチカン市国として知られる。
日本五大山城と日本五大山岳城
越後国春日山城上杉謙信新潟県上越市中屋敷
出雲国月山富田城尼子経久島根県安来市広瀬町富田
近江国観音寺城六角義賢滋賀県近江八幡市安土町
近江国小谷城浅井長政滋賀県長浜市湖北町伊部
能登国七尾城畠山義綱石川県七尾市古城町
出雲国月山富田城尼子経久島根県安来市広瀬町富田
能登国七尾城畠山義綱石川県七尾市古城町
近江国観音寺城六角義賢滋賀県近江八幡市安土町
越後国春日山城上杉謙信新潟県上越市中屋敷
武蔵国八王子城北条氏照東京都八王子市元八王子町
海外「en:Spur castle」を参照
関連項目
日本三大山城
岩村城(岐阜県)
高取城(奈良県)
備中松山城(岡山県)
甲州流軍学による三大山城
久能城
吾妻城
岩殿山城
古代山城
平城
平山城
日本の城一覧
全国山城サミット - 山城を有する自治体の交流などを目的に平成6年から毎年秋頃に行われている。第1回の兵庫県和田山町(現在は朝来市)から始まり第19回(平成24年)の魚津市。第20回は朝来市の予定。
脚注[脚注の使い方]
注釈
出典^ 西ヶ谷恭弘編著『城郭の見方・調べ方ハンドブック』東京堂出版、2008年。
^ a b 三島正之「川中島合戦と城郭(続)―関連城郭から展望する合戦の実像―」『中世城郭研究』第21号、中世城郭研究会、2007年、62頁、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISSN 0914-3203。
^ 平井聖監修・三浦正幸ほか執筆『城 6 中国』毎日新聞社、1996年
^ 小和田哲男『戦国大名浅井氏と小谷城』湖北町教育委員会、1992年、p. 4
^ 中井均『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年、p. 32