山城国(やましろのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。
「山城」の名称と由来六十余州名所図会「山城嵐山渡月橋」
「やましろ」は、古くは「山背」「山代」と記され、7世紀に「山背国」という表記で国が建てられた。
この名称は、平城京から見て「奈良山のうしろ」にあたる地域であることから来ていると云われている[2]。
延暦13年11月8日(794年12月4日)の平安京命名の際に、桓武天皇が、山河が襟帯して自然に城をなす形勝から「山城国」に改称した。これが「城(ジョウ、き)」という字を「しろ」と読む原因となった(詳細は日本の城を参照)。平城京時代の木簡を見る限り「山代国」・「山背国」の表記は並存していたと見られている。 明治維新直前の領域は、現在の京都府の下記の区域に相当する。
領域
京都市の大部分(右京区京北各町・左京区広河原各町を除く)
向日市
長岡京市
乙訓郡大山崎町
宇治市
久世郡久御山町
八幡市
城陽市
綴喜郡宇治田原町・井手町
京田辺市
木津川市
相楽郡精華町・和束町・笠置町・南山城村
歴史
近世以降の沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(495村・221,054石余、8郡平均 61.9村 27631.5石 9.5領)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。幕府領は京都代官が管轄。下記のほか、個人の領地や寺社領も点在した。
愛宕郡(93村・26,258石余) - 皇室領、宮家領、門跡領、公家領、女官領、地下役人領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、社家領
葛野郡(82村・35,656石余) - 皇室領、宮家領、門跡領、公家領、女官領、雑色領、地下役人領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、社家領
乙訓郡(52村・25,792石余) - 皇室領、宮家領、門跡領、公家領、女官領、地下役人領、北面衆領、幕府領、京都守護職役知、旗本領
紀伊郡(33村・27,632石余) - 皇室領、宮家領、門跡領、公家領、女官領、地下役人領、北面衆領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、淀藩
宇治郡(43村・15,153石余) - 皇室領、門跡領、公家領、女官領、幕府領、旗本領
久世郡(39村・28,420石余) - 皇室領、門跡領、公家領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、淀藩、大和小泉藩
綴喜郡(59村・24,804石余) - 皇室領、門跡領、公家領、女官領、幕府領、旗本領、淀藩
相楽郡(94村・37,337石余) - 皇室領、門跡領、公家領、女官領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、淀藩、武蔵岩槻藩、伊勢津藩、伊勢久居藩、大和柳生藩、大和小泉藩
慶応4年
2月19日(1868年3月12日) - 藩領を除く各領地が京都裁判所の管轄となる。
閏4月25日(1868年6月15日) - 京都裁判所の管轄地域が京都府の管轄となる。
明治3年5月20日(1870年6月18日) - 岩槻藩の管轄地域が京都府の管轄となる。