2005年に取締役を退任し、役職は相談役のみとなる。その際、任天堂側からは長年の功績に対する慰労金として12億3600万円を提示されていたが、山内は「それよりも社業に使ってほしい」と、この申し出を断っている[3][10]。
2013年9月19日、肺炎のため京都市左京区の京都大学医学部附属病院で死去した[11][12]。85歳没。葬儀は任天堂本社で社葬として執り行われた[13]。死後山内は発行済株式10%を保有する筆頭株主であったがそれらは遺族4人が相続した[14][15]。
山内は発行済株式10%を保有する筆頭株主であったがそれらは遺族4人が相続した[14][15]。