この節の加筆が望まれています。 1859年の横浜港開港に際して設置された外国人居留地を前身とする。「山下」の呼称は、1867年に追加された後発の外国人居留地である「山手」に呼応するものである。
歴史と開港通から海岸寄りの箇所が元来の横浜村である砂州の洲干島(しゅうかんじま)の一部、斜方向の区画が特徴的な中華街一帯が横浜新田(1812年検地)、中華街と横浜公園に挟まれた箇所が太田屋新田(1856年検地)の一部に当たる。
地名の由来
沿革
1858年7月29日 - 日米修好通商条約により神奈川が開港場として定められるが、幕府は横浜を神奈川と主張し開港させた。そのため当地域は外国人居留地となった。
1859年7月1日 - 横浜港が開港する。久良岐郡横浜村の日本人居留地が「横浜町」と改称する。
1873年5月1日 - 神奈川県は県下を20区に分け、区下に幾つかの番組を設置。横浜町は第1区1番組となるが、外国人居留地である当地区は山手居留地とともに第1区には含まれなかった。
1874年6月14日 - 大区小区制により横浜町は第1大区1小区となる。しかし、外国人居留地である当地区は山手居留地とともに第1大区には含まれなかった。
1878年11月21日 - 郡区町村編制法により第1大区が横浜区となる。しかし、やはり外国人居留地である当地区は山手居留地とともに横浜区には含まれなかった。
1879年
1月11日 - 山下居留地に以下の30か町が新設される。阿波町・上田町・蝦夷町・越後町・大坂町・小田原町・尾張町・海岸通り・加賀町・角町・九州町・京町・神戸町・薩摩町・駿河町・長崎町・日本大通り・函館町・花園町・琵琶町・富士山町・二子町・豊後町・堀川町・本町通り・本村通り・前橋町・水町通り・武蔵町・武蔵横町
外国人居留地の管理が神奈川県から横浜区へ移管される。
1883年 - 領事の許可があれば日本人の居留も事実上黙認されることとなり、以降海辺の日本人も多く住んだ地域を「下町」、その反対側を「上町」と通称した。
1889年4月1日 - 横浜市制が施行され、山下・山手の両外国人居留地も市域に編入される。
1899年
7月17日 - 条約改正により外国人居留地が廃止され、返還される。
7月24日 - 旧山下居留地30か町の区域に山下町が新設される。
1927年10月1日 - 区制施行により、「中区」が発足する。
1930年3月15日 - 関東大震災の復興事業として、震災で出た大量の瓦礫で山下町の沿岸部を埋め立てた山下公園が開園する。
1956年9月1日 - 横浜市が政令指定都市に移行。
1961年 - 横浜開港100周年を記念して「マリンタワー」が完成。「氷川丸」が山下公園に係留される。
1963年 - 山下埠頭の埋立造成が完工。
1972年4月1日 - テレビ神奈川開局。(2004年5月10日太田町へ移転)