山上王
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^ その理由として扶余族の「兄死取嫂(兄が死んだときにはその妻を弟が娶る)」という風習が高句麗に残っていたことがあるが、王宮内で勢力を維持したい于氏が望んでのことともされている。
^ 高句麗の王位継承についての内部対立の記事が『三国志』に収められているが、これを受けた記事が『三国史記』には故国川王紀と山上王紀とにそれぞれ少し異なる形で記述されている。

参考文献

井上秀雄『古代朝鮮』、日本放送出版協会<NHKブックス172>、1972 ISBN 4-14-001172-6

三国史記』第2巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X

『朝鮮史』 武田幸男編、山川出版社<新版世界各国史2>、2000 ISBN 4-634-41320-5










第10代:197年-227年高句麗王

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