山上光治
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^ 当時は拘置所がなく、広島刑務所で拘置されていた
^ 当時の広島市には、裁判できるような法廷がなかった
^ 共犯の男らは、ともに懲役6年の判決を受けた。
^ 岡組内部では47日間と云われた
^ 1946年(昭和21年)11月6日午前8時半ごろ、岡は裁判所から電話を受け、午前9時すぎにシボレーに乗って広島市基町の裁判所を訪れ、書類一式を受け取った。またその30分後に吉島の広島刑務所に到着した。
^ 記録上、山上は1946年(昭和21年)11月4日広島赤十字病院から脱走したことになっている
^ 「国会会議録・第15回国会法務委員会第19号」では、「11月10日」と明記されているが、本堂淳一郎『広島ヤクザ伝 「悪魔のキューピー」大西政寛と「殺人鬼」山上光治の生涯』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40420-3 では、「11月18日」と記述されている
^ 以下は詳細な顛末である。捜査員は駅前派出所に連絡し、武装警官20数名が日劇一帯を包囲しようとした。山上は日劇を出て、近くの好川酒店の横手からこの家屋の風呂場に入った。すぐさま、警官隊やMP一個小隊に包囲された。山上は好川酒店の主婦に「迷惑かけてすまんのう、成り行きで飛び込んだもんじゃけえ。ほいてなんじゃが、もう少し迷惑かけるけん、これ貰うてくれんじゃろうか」と持ち合わせていたすべての金を渡している。
^ 同日午後5時30分ごろ、丸本繁喜も現場に駆けつけた。

出典
資料・出版物
書籍

本堂淳一郎
『広島ヤクザ伝 「悪魔のキューピー」大西政寛と「殺人鬼」山上光治の生涯』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40420-3

本堂淳一郎、天龍寺弦、多田拓郎『実録 武勇ヤクザ伝 仁義なき戦い外伝 殺人鬼神話 山上光治 不死身の男編』竹書房、2005年、ISBN 4-8124-6132-4

本堂淳一郎、天龍寺弦、二ツ木哲郎『実録 武勇ヤクザ伝 仁義なき戦い外伝 殺人鬼神話 山上光治 地獄への帰還編』竹書房、2005年、ISBN 4-8124-6304-1

映画・オリジナルビデオ

深作欣二監督『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973年東映)の主人公・山中正治のモデルが山上光治。山中正治役は、北大路欣也

『新・広島やくざ戦争 武闘派列伝 伝説の広島極道 山上功治の生涯』(2002年GPミュージアム)、主人公・山上功治のモデルは山上光治。山上功治役は小沢仁志

参考文献

本堂淳一郎
『広島ヤクザ伝 「悪魔のキューピー」大西政寛と「殺人鬼」山上光治の生涯』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40420-3

「国会会議録・第15回国会法務委員会第19号」

関連項目

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