あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。
26 人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。
27 しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。
28 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。
29 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
30 あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。
31 人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
32 自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
33 自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。
34 また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
36 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
37 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
38 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。 ? ルカ 6:20 - ルカ 6:38 (ルカ 6:39 - ルカ 6:49も参照)
構造
マタイ伝
マタイ 5:1-2 - イエスが悪魔払いにより病人を治したため群集が集まってくる。そこでイエスは山に登り、彼らに教えて言う。
マタイ 5:3-12 - 幸福の説教(「真福九端」もしくは「真福八端」とも)。
マタイ 5:13-16 - 信者を「地の塩」と「世の光」になぞらえる。
マタイ 5:17-48 - 律法、モーゼの十戒への論評。
マタイ 6 - 善行を見せびらかすな。施し、祈り(主への祈り)、断食は隠れてせよ。物のことで悩むな。
マタイ 6:25-33 - 野の花を見よ。何を食べようか、何を飲もうか思いわずらうな。
マタイ 6:34 - 明日のことを思いわずらうな。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
マタイ 7:1-5 [2] - 人を裁くな、あなたがたも裁かれないために。
マタイ 7:6-29 - 聖なるものについて。偽預言者に気を付けなさい。
ルカ伝
ルカ 6:20-23 - あなたがたは幸福だ。貧しき人々。飢えている人々。今泣いている人々。いじめられ迫害されている人々。
ルカ 6:24-25 - あなたがたは不幸だ。富んでいる人々。満腹している人々。今笑っている人々。すべての人からほめられている人々。
ルカ 6:27-36 - あなたがたの敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあるだろうか。自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。
ルカ 6:37-38 - 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも人から裁かれることがない。人を赦しなさい、そうすれば、あなたがたも赦される。
ルカ 6:39-42 - 盲人が盲人を道案内するたとえ。
ルカ 6:43-45 - 良い実によって良い木を知る。悪い実によって悪い木を知る。人の口から出てくるその言葉でその人がわかる。
ルカ 6:46-49 - 良い土台の上に家を建てた人と土台なしで家を建てた人のたとえ。わたしの言葉を聞いたら、それを行いなさい。聞いても行わない人は土台なしで家を建てる人である。
その他
「こころの貧しい人たち」とは霊的に貧しい人たちを指す。
マタイ伝による垂訓の記述はルカ伝のものと多く重複している。これはQ資料による二資料仮説の理由になっている。
精神性を重視したマタイ伝に対し、ルカ伝の方は社会性、現実性を重視した表現になっており、幸福と不幸の対比の形になっている。
マタイには「山」とあるだけであるが、ルカは「平らな所」としている。マタイは、ユダヤ的考えを反映して、イエスが「山」に登って教えを説かれたと書いているが、ルカは異邦人的考えに配慮して、イエスが神の使節のように「平らな所」(山の中腹の台地であろう)に下って教えたように書いている。しかし、両福音書とも同一場所を指している。[3]
マタイ伝の記述を「山上の説教」と呼び、ルカ伝の記述を「平地の説教」と呼んで区別することもある。
脚注.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに山上の垂訓(文語訳)の原文があります。^ マタイ伝7:12、ルカ伝6:31に記述される。
^ ルカ伝6:37-38およびルカ伝6:41-42に該当する。
^ フランシスコ会聖書研究所 訳注『新約聖書』205頁注(3)。
参考文献ウィキソースに口語新約聖書の原文があります。ウィキソースに文語訳新約聖書の原文があります。
新共同訳新約聖書 日本聖書協会
口語訳新約聖書 日本聖書協会
文語訳新約聖書 日本聖書協会
フランシスコ会聖書研究所 訳注『新約聖書』中央出版社、改訂初版1984年。ISBN 4-8056-4001-4
関連項目
ヘブライ語聖書
詩篇
金持ちとラザロ
外部リンク
⇒ルカ福音書6章17?26節による説教(29)幸いはどこに 経堂緑岡教会 牧師 松本 敏之、2016年5月4日。
通俗正教教話/幸福を得る御教(ウィキソース) モスクワ府主教フィラレート著、加島 斌訳、1909年 正教會編輯局発行。
表
話
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福音書におけるキリストの公生涯
降誕
幼少時代
洗礼
荒野の誘惑
12使徒の選抜
山上の垂訓/平地の説教
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エルサレム入城
最後の晩餐
受難
十字架
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