屋根裏の散歩者
作者江戸川乱歩
国 日本
言語日本語
ジャンル探偵小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『新青年』1925年 8月増刊号
出版元博文館
刊本情報
収録『創作探偵小説集第二巻「屋根裏の散歩者」』
出版元春陽堂
出版年月日1926年1月
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『屋根裏の散歩者』(やねうらのさんぽしゃ)は、1925年(大正14年)に発表された江戸川乱歩の短編探偵小説。明智小五郎シリーズの5作目。博文館の探偵小説雑誌『新青年』の1925年8月号に掲載された。犯人の視点で事件が語られる倒叙の形式をとるが、本格ものとしては厳密性を欠く。
書籍刊行としては1926年1月の『創作探偵小説集第二巻「屋根裏の散歩者」』(春陽堂)が初。また、明智小五郎シリーズの代表作として映画やテレビドラマとして数多く映像化された。原作はごく短い作品だが、細部や背景を大幅に膨らませて、または他の短編の要素を組み合わせて長編映画化されるケースが多い。 博文館の探偵小説雑誌『新青年』で、1925年(大正14年)の8月増刊号に掲載された。同年大正14年の6月[1] に大阪府北河内郡守口町(現在の守口市)の自宅で執筆された作品である[2]。 乱歩は1917年(大正6年)に鳥羽造船所電機部(現シンフォニアテクノロジー)に就職したがこの時会社をサボって社員寮の押し入れに隠れて寝ていた経験と、守口町の自宅の屋根裏に侵入し徘徊した経験から着想を得た[2]。乱歩は当初庶務課へ配属されたが、技師長が乱歩を気に入り本来の業務ではなく地域交流の仕事に回され、無断欠勤してもとがめられないなど自由に行動していたという[3]。 本作が執筆された1925年は『D坂の殺人事件』を皮切りに乱歩が専業作家として歩み始めた年で、森下雨村の好意により『新青年』誌上で6ヶ月連続掲載を受け持ったが、2作目の『心理試験』で既に種が尽きていたと言い、4作目の『赤い部屋』を除けば酷い状態で、特に『黒手組
概要
当初本作は、乱歩が温めていた「天井裏に潜んだ犯罪者が節穴から発砲して殺人を成功させる」という推理小説のトリックが原案となっている。が、論理的に無理があり、実用にならないと放置していたが、「種のない苦しまぎれに、あきらめ悪くネチネチと考えていたら、徐々に変形して結局『屋根裏』が出来上がった」という。この案と、自身が鳥羽造船所勤めだったころに会社をサボって押し入れに隠れ、天井裏の散歩を妄想していたことを結び合わせることで、乱歩は本作を書く気になった。大阪に住まいを移した乱歩は、自宅の屋根裏を実際に覗いてみて、その光景を半時間も楽しんだという。平林初之輔からは「自分の家の天井裏を歩き回って、その体験談を小説にした作家なんて、古今東西に例がないだろう」と、不思議な作家であることを強調されたといい、乱歩自身も「古い読者の記憶に残っている作品の一つだから、私の代表作の短編集には、いつも入れている」と語っている。ただし、「西洋の住居には屋根裏がないだろう」との判断で乱歩は本作を英訳短編集には加えなかった。
本作で殺人手段として節穴から毒薬を垂らす手法が描かれるが、節穴と被害者の口とが垂直線上につながる状況の説明が難しく、これは乱歩も「困ったところ」と述懐しており、各方面から批難と助言を受けたという。また甲賀三郎からは作中の塩酸モルヒネの量では致死量に足りないと指摘を受けている[4]。 郷田三郎は学校を出ても定職に就かず、親の仕送りを受けて暮らしている。酒、女をはじめあらゆる遊戯に興味を持てず、退屈な日々を送り、下宿を転々としていた。ここで郷田は友人の紹介で素人探偵の明智小五郎と知り合い、「犯罪」に興味を持つようになる。浅草公園で、戯れに壁に白墨で矢印を描き込んだり、意味もなく尾行してみたり、暗号文をベンチに置いてみたり、また労働者や乞食、学生に変装してみたりしたが、ことさら女装が気に入って、女の姿できわどい悪戯をするなど、「犯罪の真似事」を楽しみ始めた。
あらすじ