屈斜路湖
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1917年(大正6年)の調査では、イトウ、ウグイ、アメマスヤマベカジカイトヨに加え、サケが遡上していた。植物プランクトンが多く、セキショウモヒルムシロのような水草が生えていた[10][11]

この状況は1929年(昭和4年)頃に一変した。この年、多くの魚種が消えるか局地的にしか見られず、水草は稀になっていた。湖水表面のpHは4.9から5.1で酸性を呈した。この後、1934年(昭和9年)頃には一時期酸性度が弱まり pH 6-7 程度まで回復し[12]、魚類の回復もみられたが、1938年(昭和13年)5月の屈斜路地震で湖底から硫酸塩が噴出したとみられ、pH4前後まで酸性に傾き魚類はほぼ全滅した[13]

このため屈斜路湖では現在でも漁業権が存在しない。2000年代以降酸性度は低減される傾向にあり、優占種は耐酸性に優れたウグイで他には放流されたニジマスヒメマスサクラマスが僅かに生息する[14]

また、和琴半島はミンミンゼミ生息の北限地であり、1951年に「和琴ミンミンゼミ発生地」として国指定の天然記念物となっている。オオハクチョウの飛来地としても知られる。
人間史と観光

江戸時代の探検書・古地図には「クスリ・トー」(アイヌ語で「温泉」「薬の湖」の意)と書かれていた。その後、釧路川源流付近にあったコタン名「クッチャロ」(「喉」「口」「湖からの流出部」の意)から現在の屈斜路湖となった[10]

冬季には、2月になると全面結氷し[15]総延長5-10km程度[16]の日本最大級となる鞍状隆起現象 御神渡り が形成される[17][18]
伝説

アイヌの伝説では、英雄オタストゥンク?、あるいはオキクルミが巨大なアメマスを捕らえて湖畔の山に結びつけたが、暴れるアメマスは山を引き抜き、自身はその山の下敷きになってしまった。その山が現在の中島である。アメマスはいまだ死にきれず、時に暴れる。そのため、道東地方は現在でも地震が多いという[19]

昭和50年代(1975年から1985年頃)に大きな影が遊泳する様子や湖面の波紋が立て続けに目撃され、この湖に巨大な未知の生物が棲んでいるという噂がテレビなどで取り上げられた。ネッシーにならってクッシーと名付けられた[19]。とはいえ、酸性が強いこの湖に大型水生生物が存在する可能性は無いとされる。実際、近年は目撃情報は途絶えてしまっている。
温泉

火山地帯であることから、周囲には火山や温泉が多数存在し、湖岸を掘ると湯が湧き出す砂湯は観光名所となっている。また湖底からも温泉が噴出している[20]。弟子屈町周辺に名湯スポットが点在している。 

屈斜路湖畔温泉郷

仁伏温泉

和琴温泉

三香温泉

コタン温泉

池の湯温泉

砂湯温泉



川湯温泉(湖畔からは若干離れている)

交通

国道243号

北海道道52号屈斜路摩周湖畔線

阿寒バス

釧網本線摩周駅川湯温泉駅

石北本線美幌駅網走駅

女満別空港

定期観光バス

騒音苦情などを受けて、湖面への個人による動力船(モーターボート水上バイク)の乗り入れが2021年10月から原則禁止される[21]
ギャラリー

津別峠より望む

北海道道102号駐車公園より望む

湖畔

砂湯付近に群れるハクチョウ

小清水峠から見た12月末の屈斜路湖の黎明

参考文献

中尾欣四郎・黒萩尚・矢島睿「カルデラの湖とアイヌの伝説 摩周湖・屈斜路湖」『日本の湖沼と渓谷』第1巻(北海道 I)、
ぎょうせい、1987年。

広瀬亘、中川光弘「北海道東部,屈斜路カルデラ地域の新生代火山岩類のK-Ar年代と第四紀火山活動史」『地質学雑誌』Vol.101 (1995) No.1 P.99-102, doi:10.5575/geosoc.101.99

長谷川健、岸本博志、中川光弘、伊藤順一、山元孝広「北海道東部,根釧原野および斜里平野における約3万5千?1万2千年前のテフラ層序と後屈斜路カルデラ火山の噴火史」『地質学雑誌』Vol.115 (2009) No.8 P.369-390, doi:10.5575/geosoc.115.369

脚注^ 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積” (PDF). 2015年3月7日閲覧。


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