屈原
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懐王17年(紀元前312年)、丹陽藍田における(丹陽・藍田の戦い(中国語版))の大敗[3]後、一層疎んぜられて公族子弟の教育役である三閭大夫へ左遷され、政権から遠ざけられた。

秦は懐王に縁談を持ちかけ秦に来るように申し入れた。屈原は秦は信用がならない、先年騙されたことを忘れたのかと諫めたが懐王は親秦派の公子子蘭に勧められて秦に行き、秦に監禁されてしまった。ドラゴンボート祭りで飾られた屈原(シンガポール)

王を捕らえられた楚では太子横を頃襄王として立てた。頃襄王の令尹(丞相)として屈原が嫌いぬいた子蘭が着任したため、更に追われて江南へ左遷された。頃襄王21年(紀元前278年)、秦により首都が陥落したことで楚の将来に絶望し、5月5日の端午に石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。屈原の強烈な愛国の情溢れる詩は楚の詩を集めた『楚辞』の中で代表とされ、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された。

後に5月5日の命日には、屈原の無念を鎮めるため、人々は楝樹の葉に米の飯を五色の糸で縛って、川に投げ込むようになった。これがちまきの由来といわれる[4][5]。また、伝統的な競艇競技であるドラゴンボート(龍船)は「入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出した」という故事が由来であると伝えられている[6]
実在についての疑問

屈原の伝記や、楚辞を屈原が作ったとする伝承には疑問が提出されている。胡適は『史記[7]の屈原の伝の信憑性を疑い、司馬遷の作ではないとした。また戦国時代にはひとつの国の主君に忠誠をささげるという観念はまだ発達しておらず、『史記』の屈原像は代にはいってから儒教化した楚辞の解釈をもとに作られた「複合物」であるとした[8][9]。日本では岡村繁が、屈原という人物の実在は否定しないものの、その生涯について知られていることがあまりにも少なく、また楚辞のうちどれを屈原の作とするかは時代による違いがあるとした。また楚辞の中の語彙の類似性からは「離騒」と「九章」中の「哀郢」が最初に書かれたと考えられるが、両者の作者は別であると考えられ、どちらも屈原の作品とは認められないと結論づけた。岡村によれば屈原は楚辞文学のヒーローであって、その作者ではない[10]小南一郎は楚辞を前期・中期・後期の3つの時代にわけ、「九歌・招魂」を前期、「離騒天問」を中期、「九章・遠遊・九弁・大招・卜居・漁夫」他を後期とする。そして前期は安定した時代を反映し、中期はそれが崩壊に向かう戦国末年の激動期の楚国のものであるとした[11]。矢田尚子は「九歌・遠遊・九弁・招魂・大招」などは内容から明らかに屈原とは無関係とし、また「離騒」を屈原の自伝とすると後半の解釈に無理が及び、そもそも自叙的な詩ではないとした[12]
参考文献

岡村繁「 ⇒楚辭と屈原 ―ヒーローと作者の分離について―」『日本中國學會報』第18号、1966年、86-101頁。 

小南一郎『楚辞とその注釈者たち』朋友書店、2003年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4892810932。 

佐藤一郎『中国文学史』慶應義塾大学出版会株式会社、1971年。 

矢田尚子『楚辞「離騒」を読む―悲劇の忠臣・屈原の人物像をめぐって―』東北大学出版会、2018年。ISBN 9784861633003。 

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、屈原に関連するカテゴリがあります。ウィキソースに屈原の作品の原文があります。

楚辞

端午

漁父辞

ドラゴンボート(龍船)[6]

横山大観 - 代表作に「屈原」(1898年)。

鼻たれ小僧 - 「屈原」は、「洟垂小僧」(経験の浅い者)をさす隠語。

出典[脚注の使い方]^ 佐藤 1971, p. 25.


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