古代より引き続き水利工事が進められ(木曽川・長良川流域。隣国美濃国とともに耕地開発された)、国の面積は小さいながらも米の生産高は他国に比べ早くから向上した。
平安時代源頼朝の生誕地とされる熱田神宮大宮司藤原氏の別邸跡(誓願寺)
平安時代末期になると熱田大宮司であった藤原季範は源氏に接近し、娘の由良御前が源義朝に嫁いで源頼朝を産んでいる。
また、季範の養女(孫娘)は足利義康(足利氏初代)に嫁いでおり、足利氏にも血脈を伝えている(足利氏8代目が室町幕府を開く足利尊氏である)。
治承5年(1181年)、「治承・寿永の乱」における「墨俣川の戦い」が尾張国と美濃国の国境にある墨俣川(現在の長良川)で行われた。
鎌倉時代
京から鎌倉のある東国への往還道
斯波氏の守護代織田氏が実力を持つも、応仁の乱の発生で織田家は二つに分裂。東軍についた「大和守家(清洲織田氏)」と西軍についた「伊勢守家(岩倉織田氏)」が戦後の尾張支配を巡って抗争状態となる。斯波氏は両者を巧みに操縦していたが、やがて実力を失う。また駿府の今川氏親が東尾張に侵攻した名残りで那古野城は今川家の保有となる。「大和守家」の家老一族が「弾正忠家」として枝分かれし、織田信秀の代で躍進する。信秀は那古野城を今川氏豊から奪い取るなど功績を挙げた。
近世桶狭間古戦場伝説地(豊明市)小牧山城(小牧市)犬山城(犬山市)長久手古戦場公園(長久手市)
安土桃山時代