尾張国
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7世紀後半の木簡では尾張国と尾治国の二つの表記が見られる[1]。平安時代に作られた『先代旧事本紀』天孫本紀の尾張氏の系譜にも「尾治」とある。大宝4年(704年)に国印が鋳造されたときに尾張と定められたと推定される[2]

『倭訓栞』には「尾張の國は、南智多郡のかた、尾の張出たるが如し、一説に小墾の義也」、『古事記傳』には「尾張國、名義未思得ず」などと諸説があり、はっきりしない。

なお、古代の東海道は伊勢国から海路(伊勢湾)経由で三河国に伸びていたとする説もあり、初期の尾張国は東山道に属しており、後に交通の変化で東海道に属するようになったとする説もある[3]
領域

明治維新直前の領域は、現在の下記の区域に相当する。

愛知県

名古屋市瀬戸市尾張旭市長久手市日進市愛知郡東郷町)、豊明市犬山市小牧市春日井市西春日井郡豊山町)、丹羽郡扶桑町大口町)、江南市岩倉市北名古屋市清須市あま市津島市海部郡大治町蟹江町飛島村)、大府市半田市東海市知多市常滑市知多郡東浦町阿久比町武豊町美浜町南知多町)の全域

一宮市の大部分(東加賀野井の一部を除く[注 1]

稲沢市の大部分(祖父江町拾町野・祖父江町馬飼および祖父江町祖父江の一部を除く[注 2]

愛西市の大部分(福原新田町の一部を除く[注 3]

弥富市の大部分(五明・五明町・小島町・川原欠・加稲・加稲九郎次町・三好・三好町・富島・富島町・中原・中原町・稲荷崎・加稲山町・稲荷崎町・境町および川平の一部・海老江の一部・栄南町の一部を除く[注 4]


岐阜県

海津市の一部(海津町駒ケ江の一部[注 5]


歴史
古代
弥生時代

朝日遺跡などの大規模環濠集落が現れる。

天火明命を祖神とする尾張氏が本拠を置き、ヤマト王権の天皇家と婚姻関係で結びつき支配を確立した。


貝殻山貝塚
朝日遺跡

尾張神社

尾張戸神社

古墳時代(大和時代)

景行天皇の時代には、三種の神器の一つ草薙剣(天叢雲剣)を祀る熱田神宮を創建した。

日本武尊の東征の際に通ったとされ、内々神社萱津神社など、日本武尊に纏わる神社や地名が多く残る。

4世紀頃から7世紀頃まで、断夫山古墳を始め多くの古墳が造営されている。


熱田神宮

萱津神社

内々神社

成海神社

志段味大塚古墳
志段味古墳群

飛鳥時代

645年大化元年)7月14日 - 孝徳天皇が神に供えるを課した。

7世紀朝廷によって律令制が敷かれると尾張国造の領域が令制国の尾張国の範囲となる。

660年代には、国とによる地方行政区画が施行されていたが、本格的な地方行政制度は8世紀の初頭に地域を国・郡・里の3段階に区分し、『延喜式』民部式によると尾張は、海部郡中嶋郡葉栗郡丹羽郡春部郡(かすがべぐん)・山田郡愛智郡知多郡の八郡であった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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