尺貫法
[Wikipedia|▼Menu]
才は、運送業において「才建て運賃」(体積を単位とする料金体系)という用語が残っている。ヤード・ポンド法の立方フィートが才に近いことから、国際航空貨物の体積建て運賃との整合の便宜のため慣習的に利用されている。
質量(衡)

質量(度量衡の「衡」)は、現代では貫を基本の単位とする。これは明治24年(1891年)公布の度量衡法において、貫は国際キログラム原器の4分の15の質量(すなわち15/4 kg = 3.75 kg)と定められ、旧計量法施行法(昭和26年法律第208号)においても踏襲された。江戸時代に両替商が用いた後藤分銅
參拾両(1124.66 g)、貳拾両(749.07 g)、拾両(374.02 g)、拾両(374.62 g)
三匁(11.19 g)、壹両(37.47 g)、壹両(37.45 g)、貳両(74.89 g)、參両(112.42 g)、肆両(149.77 g)

江戸時代以前は「」を基本の単位としていた。両替商で用いられた分銅は両が基本単位であり、匁は補助的な単位となっている。この分銅は江戸時代を通じて後藤四郎兵衛家のみ製作が許され、それ以外のものの製作および使用は禁止された。しかしながら、丁銀および豆板銀の通貨単位は量目(質量)の実測値であり、小判の通貨としての単位である「両」と区別する意味で「匁」が用いられることになり、一般的に質量の単位としては匁が広く普及した。

匁は、元々中国で用いられた名称は「銭」であり、銭貨(日本では一文銭)一枚の質量を単位としたものであった。一文銭1000枚分の質量として定められたのが貫である。貫は通貨の単位(1000文。江戸時代には一般的に省陌法と称して960文。明治時代には10銭)としても用いられたので、区別のために質量の方は貫目、通貨の方は貫文と呼んだ。

1= 6.25= 100= 1000= 3.75 kg
 1斤= 16両= 160匁= 600 g
  1両= 10匁= 37.5 g
   1匁= 3.75 g

キログラムへの換算は計量法施行法(昭和26年法律第208号)[7]に基づくの換算係数に基づくもので、江戸時代の貫はこれよりやや小さい。なお、「両」は、計量法施行法(昭和26年法律第208号)においては定義されていない[8]

斤基準の質量の分量単位として、体積の単位を流用した合(斤の.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1⁄10、60 g)、勺(合の1⁄10、6 g)が用いられることもあった。

度量衡法における元々の質量の単位の基準は、黍の質量であった。

『漢書律暦志』に「権者銖・両・斤・鈞・石也。所以称物平施知軽重也。本起於黄鍾之重。一龠容千二百黍重十二銖。両之為両。二十四銖為両。十六両為斤。三十金為鈞。四鈞為石」との記述があり、これは黍1200粒を12銖(後に「」と略記された)とし、これが2つで1両とするものである。「両」には「二つ」という意味がある。これから24銖が1、16両が1、30斤が1鈞、4鈞が1石となる。

の度量衡では嘉量の質量が『漢書律暦志』に「重二鈞」と記載されており、これに基づくと1両は3.8銭(匁)程度であったが、代にこれの約3倍の大両と呼ばれる制度ができ、代になるとその質量が11 %ほど縮小している。中国の学者が算出した嘉量による単位と、呉承洛の『中国度量衡史』による隋代および唐代の単位をグラムに換算したものを以下に示す。

単位(g)一石一鈞一斤一両一銖
嘉量272006800.1226.6714.1670.59029
隋代8018320046668.1941.7621.7401
唐代7161817905596.8237.3011.5542

質量の単位の銭(匁)は、この系統とは独立して発生したものである。すなわち開元通寳は10枚で24銖すなわち1両をいう基準でつくられた。この一枚の質量は1/10両で、これを1銭(匁)とした。ただし鋳造貨幣というものは質量を均一に作成することは困難で、質量の1銭(匁)の基準が開元通寳というわけではない。

金貨・銀貨鎌倉時代以前の発足時はその質量によって価値が定められ、当初は一両の質量の砂金が金一両であったが、次第に質量と額面が乖離するようになり、室町時代には既に京目金一両は4.5匁となり、安土桃山時代は京目金一両は4.4匁、田舎目金一両は4匁前後へと変化した。江戸時代初期の慶長小判は京目一両を基準として量目が定められたが、後の貨幣改鋳により含有率や質量の劣る小判が発行されるようになり、質量単位と通貨単位との乖離はさらに拡大した。

ちなみに、一番新しい五円硬貨の質量は3.75g(一匁)である。
分量単位

漢数字としての小数を表す文字である「」(ぶ)は、数値としては1⁄10を表し、厘は1⁄100を表し、毛は1⁄1000を表す。例えば、長さの単位としてはの1⁄10が1分(ぶ)、質量の単位としてはの1⁄10が1分(ふん)となる。これらの分・厘・毛は、計量法施行法(昭和26年法律第208号)で定義されていた[9]

分 -- 0.1寸、0.1匁

-- 0.01寸、0.01匁

(毫) -- 0.001寸、0.001匁

単位長さ質量
(基本単位)寸≒ 30.30303 mm匁= 3.75 g
分≒ 3.030303 mm375 mg
厘≒ 303.0303 μm37.5 mg
毛≒ 30.30303 μm3.75 mg

なお、日本では1⁄10を表す歩合として「」があった。そこで「割」の1⁄10を「」、割の1⁄100を「厘」とする用法が普及した。例えば、0.325を3割2分5厘と表現する。この用法のために、が1/100を、が1/1000を意味すると誤解されることがある。詳細は、分 (数)#百分の一を意味するとの誤解を参照のこと。

体積面積、また斤基準の質量の分量単位については、上に示したような分・厘・毛などの系列の単位ではなく、合・勺といった単位を用い、合は基本単位の1⁄10、勺は合の1⁄10となっている。

合・勺は登山道の到達の目安を示す単位にも用いられる。原則として麓(0合目)から頂上(10合目)までを10合に分けるが、測量で距離や標高などを正確に等分するというよりは、長い年月をかけて登山者の感覚で習慣的に付けられたものであり、実際に歩いて登る際に要する時間がおおよその基準になっているため、険しい場所や坂の急な場所では1合の長さが短くなる。

単位体積面積質量(斤基準)登山道
(基本単位)升≒1.80390684 L坪/歩≒3.305785 m2斤=600 g(10合:麓から頂上までの全行程)
合≒180.390684 mL≒0.3305785 m260 g麓から頂上までの10分の1
勺≒18.0390684 mL≒0.03305785 m26 g麓から頂上までの100分の1

計量法に違反しない範囲の使用

日本では計量単位として使用されることはなくなったが、取引や証明に当たらない計量において尺貫法の単位が使われるケースや、国際単位系の単位を表記に利用しながらも、尺貫法の値を設計者の思考上の計算または内部的な計算に用いる例はみられる。これは計算に用いるような内部的使用は、外部との取引・証明に使われるわけでないので計量法には違反しないためである。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:44 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef