尖閣諸島問題
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注釈^ 内務省地理局『大日本府県管轄図』に魚釣島が記載されている。
^ 中山王(ちゅうざんおう)は、琉球の歴代国王の称号である。
^ 外務卿井上馨の山県有朋宛書簡1885年10月21日。外交史料館蔵 井上馨「親展 第38号」(1885年10月21日)『日本外交文書』(第18巻)575頁「之候様に付此際遂に公然國標を建設する等の處置有之候ては清國の疑惑を招き候間差向実地を踏査せしめ港湾の形状并に土地物産開拓見込有無等詳細報告せしむるのみに止め、國標を建て開拓等に着手するは、他日の機会に譲候方可然存候且曩に踏査せし大東島の事并に今回踏査の事共官報并に新聞紙に掲載不相成候方可然存候間夫々御注意相成置候様致度候右回答旁拙官意見申進候也」。
^ 「最も目新しく感じたるは長貳間半許、幅四尺許の傳馬船の漂着せしものなり。形甚だ奇にして曾て是聞せさるものなれば、之を出雲九乗組人に問うに、曰く支那の通船なりと答へり」[10]
^ 「先づ上陸踏査せんと欲すれども、惜むらくは日は西山に落んとし時恰も東北の風を起し倍す強大ならんとす。案外港湾はなし」[10]
^ 「帰路久米赤島を見ん事を船長に約し進航せしに、風は愈よ強きを加へ、夜は暗黒にして終に瞭然見る事能はさりしては甚だ遣憾とす」[10]
^ 『日本水路誌』(1894年刊)等には1887年および1888年の加藤大尉の実験筆記(実地調査に基づく記録)に基づくものとして魚釣島等の概況が記載されている。
^ 林子平の図では台湾と尖閣とを別の色に塗っており、清の台湾領有が1683年で、100年のちに書かれた『三国通覧図説』でも清が桃色で台湾が黄色であることと矛盾している[19]。そもそも『三国通覧図説』で示された図は領土を色分けしたものではないとみられている[19]。また、国際法においては古文書は、その文書の信憑性を立証することが困難であるところから、証拠書類とはなりえない[19]
^日本統治時代の台湾#日本の敗戦と中華民国による接収」を参照のこと。
^ 中華人民共和国はもとより中華民国にも返還されていないとする台湾地位未定論もあるが、広く認められたものではない。
^ 南シナ海南沙諸島を意味する。
^ 日本人が先に発見していなくても、沖大東島南鳥島のように日本領に編入された島も存在する。
^ タイ王国カンボジアが当事者のプレア・ビヘア寺院事件(1962年6月15日国際司法裁判所判決)で、1904年の条約で決定した国境線が不正確であることをもって、解釈を変更することは条約の安定性と確実性にそわないとして、1934年に地図に不正確性があったと判ってから、相当年数が経過した1946年以降に寺院を武力占領したタイの主張を退けた。
^ それゆえ米国の再検討派は5条ではなく6条に重点を移動させるべきだとする[66]
^ 村田は、1989年六四天安門事件において天安門広場での虐殺は無かったとも主張しており、中国新疆ウイグル自治区でのウイグル人ジェノサイドも無かったとも主張している。
^ オックスフォード大学蔵。フィルムは島嶼資料センター所蔵。
^ ポッティンジャーの禁令及び測量記録は、1848年に「サマラン号航海志」及びロンドンの週刊新聞「エコノミスト」で公表され、詳細な外務文書(FO17)も保存されている。
^ 詳細は「東沙諸島」を参照。
^ 同様の感謝状は、石垣村助役の玉代勢孫伴、石垣村長豊川善佐のほか、通訳の松葉ロブナスト、古賀善次にもそれぞれ贈られたと伝わっている[223]
^ 紛争地点は魚釣島南方の石垣島、西表島と与那国島との間、西表島の西南約80海里の東経123度と124度、北緯24度と26度との間の海域。1940年1月、沖縄県は台湾に対し、与那国島と台湾との中間線(東経122度)を双方の許可権の区画線とする妥協案を提示、2月双方は円満解決を図ることで一致、4月双方共同による資源開発を決定。
^ 詳しくは、尖閣諸島年表の1972年7月28日と9月27日の項を参照。
^ 『安全保障理事会は、関係国の発意に基くものであるか安全保障理事会からの付託によるものであるかを問わず、前記の地域的取極又は地域的機関による地方的紛争の平和的解決の発達を奨励しなければならない』。
^ そのため、日本は海洋基本法(2007年成立)にもとづいて「海洋保護区」を設定し、尖閣諸島海域の管理を充実させ、「環境」を旗頭とした穏やかな実効支配を強化しながら、日本が尖閣諸島を管理する正当性を国際社会に訴えることを山田吉彦は提唱している[257]
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