この他に特別攻撃隊で出撃して未帰還となった飛行兵曹が、軍歴を終えるにあたり特進により少尉の階級で戦死公報を出されることも多かった。詳細は「殉職#二階級特進」および「関行男#戦死」を参照「下士官 (日本海軍)#昭和17年の海軍」および「石丸進一#応召・戦死」も参照
少尉に任官されると官報および将校相当官名簿に名前が載り、帝国臣民として有数の名誉とされた。「官報#広報」も参照
自衛隊に相当する[44]。
陸上自衛隊:3等陸尉、英訳例 second lieutenant
海上自衛隊:3等海尉、英訳例 ensign若しくはacting sub-lieutenant
航空自衛隊:3等空尉、英訳例 second lieutenant
尚、以下の条件に当てはまる者は、各自衛隊のそれぞれの陸上自衛隊幹部候補生学校、海上自衛隊幹部候補生学校、航空自衛隊幹部候補生学校に入校して規定の教育期間を経た後の階級昇任により現役の3等陸・海・空尉に任官される。
航空学生課程を修了し所定の期間勤務した者(海、空)
陸曹航空操縦学生課程を修了し所定の期間勤務した者(陸)
以上の2者はパイロット候補。
防衛大学校を卒業した者
自衛隊幹部候補生試験に合格した者
其の他、階級名の前に「予備」が付くが、以下の予備自衛官(補)も3尉(予備3尉)に任官される。
一部陸上予備自衛官補(技能)の訓練課程を修了した者
海上予備自衛官補(技能)甲の訓練課程を修了した一部の者[注釈 23]
予備准尉より昇進する者
陸上自衛隊での職務は、基本的に普通科・戦車・施設等の実戦部隊における小隊長職を拝命する他、部隊本部の係幹部等の任に就く。航空学生や陸曹航空操縦学生出身者は3尉に昇任することで編隊長や機長となる資格を得る。
諸外国
イギリス
イギリス陸軍 second lieutenant
イギリス海軍 sub-lieutenant(イギリス海軍は中尉と少尉の区別がなく、少尉のすぐ上が大尉。)
イギリス空軍 pilot officer
アメリカ合衆国
アメリカ陸軍 second lieutenant
アメリカ海軍 ensign
アメリカ空軍 second lieutenant
アメリカ海兵隊 second lieutenant
ドイツ
ドイツ陸軍 Leutnant
ドイツ海軍 Leutnant zur See
ドイツ空軍 Leutnant
フランス
フランス陸軍 sous-lieutenant
フランス海軍 enseigne de vaisseau de 2e
フランス空軍 sous-lieutenant
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 法令全書では布達ではなく「沙汰」としている[9] [10]。また、第604号はいわゆる法令番号ではなく法令全書の編纂者が整理番号として付与した番号[11]。
^ 兵部省は弁官宛に海陸軍大佐以下の官位相当表を上申していたが決定に日数がかかっており、明治3年7月28日に官位相当表の決定を催促をしている[12]。
^ 1870年6月1日(明治3年5月3日)には、横須賀・長崎・横浜製鉄場総管細大事務委任を命ぜられた民部権大丞の山尾庸三に対して、思し召しにより海軍はイギリス式によって興すように指示している[13]。
^ a b 1870年10月26日(明治3年10月2日)に海軍はイギリス式[注釈 3]、陸軍はフランス式を斟酌して常備兵を編制する方針が示され、各藩の兵も陸軍はフランス式に基づき漸次改正編制させていった[14]。
^ 少尉は古代中国でも見られる官職名であるが、新式軍隊の階級として使用したのは中国の用例と比べて日本がそれより早いことから、日本が先に新義語として転用した可能性が高いと推測される[15]。荒木肇は、律令制の官職名が有名無実となっていたことを踏まえて、名と実を一致させる。軍人は中央政府に直属させる。などの意味合いから衛門府・兵衛府から尉官の官名を採用したのではないかと推測している[16]。
^ 明治4年2月22日に春日艦乗組の後藤勇、根津勢告、溝口太兵衛、岩切仲左衛門を海軍少尉に任じた[21]。同年5月19日に日進艦二等士官の田尻半八を海軍少尉に任じた[22]。同月23日に龍驤艦機械方士官助の篠原顕作、同二等測量士官見習の本田知二朗、同水夫長の和田覚左衛門、同士官見習の堀直四朗を海軍少尉に任じた[23]。明治4年5月に林覚之進を陸軍少尉に任じ、同年5月25日に同人に第2連隊第1大隊1番小隊半隊長を命じる辞令を別に出している[24]。また、同年5月に田村武之進を陸軍少尉に任じ、同年5月25日に同人に第2連隊第1大隊2番少隊半隊長を命じる辞令を別に出している。同日に江木良次郎を陸軍少尉に任じ、このとき同人に第2連隊第1大隊3番小隊半隊長を命じる辞令を別に出している。このように陸軍少尉の階級と半隊長の職を区別している[25]。
^ 陸軍では服役年の始期は明治4年8月を以って始期とするため、その以前より勤仕の者であったとしても総て同月を始期とした[26]。海軍では服役年の始期について、准士官以上は明治4年8月以前は服役年に算入しない[27]。
^ 明治4年12月調べの職員録によれば海軍少尉として42名、陸軍少尉として90名が掲載されている[30]。