少子化
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日本産科婦人科学会によると不妊治療の体外受精によって2017年に誕生した子どもの数は、この年に生まれた子どものおよそ16人に1人の割合となっており[31]、誰もが自然妊娠するとも限らない現状がある。
一家族当たりの子ども数の減少と集束

1945年以後の日本人家庭のライフスタイルの変化そのものが少子化であるという言説もみられる。戦後出産した世代の1921年?1925年コーホートから産む子ども数が2?3人、特に2人に集中する傾向が見られるようになり、昭和8年(1933年)以降は「2人っ子」が過半数を占めるようになった。

以後この傾向が半世紀にわたって続き、戦後標準的となった「2人っ子家族」第一次人口転換により定着した。この子供数の減少理由としては戦前から戦後初期の日本人の多くが農林漁業や自営業に従事して子どもの補助労働力としての価値があったが、戦後大衆が「サラリーマン化」したためその労働力の価値が低下したことが大きいとされる。現在の経済的理由から実家にとどまり続ける未婚者の存在や、都市における未婚率の高さはかつての日本でも同様の傾向があるが、「皆婚、子ども2人前後」が成立した時代がそもそも歴史的に見て稀であり、「皆婚に近い状態を維持しないと人口が減少に転じる社会」との指摘がある[32]
生殖能力の低下

イギリスの大手コンドームメーカー、Durex社の2005年調査の結果、日本は世界の中で、著しくセックスの頻度が低い社会で、なおかつ性生活に対する満足度も著しく低い社会との報告がある。また夫婦間のセックスレスは二人目不妊につながると指摘されている
[33]

日本では2021年時点で毎年約3000人が子宮頸がんで死亡している[34][35][36][37]子宮頸癌は以前は発症のピークが40?50歳代だったが、近年は20?30歳代の女性にも増加しており、子育て世代の母親が家族を残して亡くなるケースが多いため「マザーキラー」とも呼ばれる[38]。北海道大学「HPVワクチン副反応支援センター」の医師は子宮頸癌治療のための子宮頸部円錐切除経験者は早産・流産を起こしやすいため、子が低出生体重児として誕生し脳性麻痺など重度障害を負うケースに小児科が数多く遭遇することを述べ、また不調がワクチン原因説に固執すると他の要因を見落とす事例を挙げている[39][40]。予防できるHPVワクチンは国際的に比較し低接種率となっている。

2017年国際調査では40年前と比べ、世界でも日本でも「精子力」が劇的に下がっている状況にあり、特に日本は精子数が欧州4か国と比べ最低レベルにあった[41]

晩婚化の影響もあり日本では不妊治療の件数が増加し、2017年には、全国で56,000人の新生児が体外受精によって誕生している。既に同年の全新生児の約6%を占めている[42]。国立社会保障・人口問題研究所の「2015年社会保障・人口問題基本調査」によると、不妊の検査や治療を受診したことがある、あるいは現在受けている夫婦は全体の18.2%で日本は不妊治療大国、しかし成功率は最下位との指摘がある[43][44]

人工中絶の非違法化と普及「産児制限」、「避妊」、および「人工妊娠中絶」も参照

マーガレット・サンガー - 1914年(大正3年)に産児制限(birth control)を提唱。

母体保護法 - 1948年(昭和23年)公布。翌年の改訂で「経済的理由による人工妊娠中絶」が合法化される。

厚生労働省の令和元年度衛生行政報告例によると2019年度(令和元年)の日本国内の妊娠中絶の総件数は、156,430件であり減少傾向にある。しかし各歳でみると19歳が5440件と最も多いが40?44歳は1万3589件、45?49歳は1399件と若者同様多く、かつ40歳後半の中絶例だけがやや増加傾向となっている。産婦人科医は40代後半の「産み終え世代」では、「予定外妊娠」で中絶を選択すると言及している[45]
古代における少子化問題
古代ローマ

少子化問題は古代ローマにもあった。アウグストゥスは紀元前18年に「ユリウス正式婚姻法[46]」を施行した。現代の考え方とは違って既婚女性の福祉を図るというより、結婚していない場合様々な不利益を被らせるというものであった。すなわち女性の場合、独身で子供がいないまま50歳をむかえると遺産の相続権を失う、さらに5万セステルティウス(現在の約700万円)以上の資産を持つことが出来ない、又独身税というのもあって2万セステルティウス(現在の約280万円)以上の資産を持つ独身女性は、年齢に関わらず毎年収入の1パーセントを徴収された。男性の場合にも元老院議員等の要職につく場合既婚者を優遇し、さらに子供の数が多いほうが出世が早い制度を作っていた。それがために中には売春婦と偽装結婚してまで法の目を潜り抜けようとした者もいたという。
各国における少子化の状況 OECD各国の合計特殊出生率

出生率1.3以下初記録順位国名初記録年出生率
香港1989年1.30
ドイツ1992年1.29
イタリア1993年1.26
スペイン
 ブルガリア1995年1.23
 ラトビア1.27
 チェコ1.27
ギリシャ1.28
スロベニア1.29
マカオ1.24
ロシア1996年1.27
 ウクライナ1997年1.27
 エストニア1998年1.28
 ハンガリー1999年1.28
スロバキア2000年1.29
 ルーマニア2001年1.23
 リトアニア1.29
韓国2002年1.17
ポーランド1.25
台湾2003年1.24
日本1.29
シンガポール1.27
ポルトガル2012年1.28
プエルトリコ2016年1.24
タイ2019年1.25
中国2020年1.30
詳細は「国の合計特殊出生率順リスト」を参照

欧米の先進国は世界でもいち早く少子化を経験した地域である。ヨーロッパの人口転換は戦前に終了していたが、アメリカ合衆国では1950年代後半にベビーブームが起きた。

1960年代には欧米は日本より合計特殊出生率が高かったが、1970年代には日本の緩やかな低下とは対照的に急激な低下が起こり、1980年代前半には日本ともほぼ同水準に達した。ただし、欧米では移民を受け入れていたので、これが人口低下には直接通じなかった。

1980年代中頃までは多くの国で出生率は低下し続けたが、1980年代後半からはわずかに反転あるいは横ばいとなる国が増えている。アメリカやスウェーデンなどは1990年に人口置換水準を回復したが、その後再び低下した。多くの国では出生率回復を政策目標とはせず、育児支援などは児童・家族政策として行われている。

南ヨーロッパでは1970年代後半から合計特殊出生率が急低下し、イタリアスペインでは1.1台という超低出生率となった。伝統的価値観が強く、急激に進んだ女性の社会進出と高学歴化に対応できなかったことが原因とみられる。1990年代後半以降、法制度面の改善と規範意識の変革により、出生率の持ち直しが見られる国もある[47]

東ヨーロッパ・旧ソビエト連邦では計画的な人口抑制政策や女性の社会進出が早かったことなどから、もともと出生率が低かった。また、1980年代以降、経済停滞や共産主義体制の崩壊などの社会的混乱による死亡率の上昇が生じ、20世紀中に人口減少過程に入った国が多い。

大韓民国台湾香港シンガポールなどのNIESでは1960-1970年代に出生率が急激に低下し、日本を超える急速な少子化が問題となっている。2003年の各国の出生率は、香港が0.94、台湾が1.24、シンガポールは1.25、韓国は1.18である[48]家族構成の変化や女性の社会進出(賃金労働者化)、高学歴化による教育費の高騰など日本と同様の原因が指摘されている。


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