少女漫画
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

同1949年3月、映画『のど自慢狂時代』に子供歌手「美空ひばり」が出演して人気となっていき[63][64]、赤本では美空ひばりとあんみつ姫を組み合わせた『ひばり姫歌合戦』(峠てっぺい)[65]や『ひばり姫』シリーズ(伴久良)[59]などが登場した[65][注 7]

また赤本では宝塚歌劇団の機関紙「歌劇」にルーツを持ち[66]ディズニーの影響も受けていると言われる[67]手塚治虫が和製の西洋おとぎ漫画を開拓していった。1948年にはグリム童話二人兄弟」の翻案児童漫画として姫救出物の「森の四剣士」が登場し[68]、翌1949年6月には少女向けとして姫を主人公とする『奇跡の森のものがたり』も登場[69][70]、この流れが後述する『リボンの騎士』へと繋がっていく[71]

また両性向けの少年少女誌では冒険物が登場した。戦前より米国の「ターザン・シリーズ」が映画として入ってきて人気となっており[72]、紙芝居でもその影響を受けた山川惣治[73]による「少年タイガー」などの冒険活劇が人気となっていた[74]が、戦後の1946年には映画「鉄腕ターザン」が日本でも公開されてターザン映画の人気が復活した[75]。1946年には漫画単行本「冒険ベンちゃん」が登場し[76]、1948年にはその「冒険ベンちゃん」などの載る少年少女誌「少年少女漫画と読物」が登場[77][76]、また1948年2月には漫画単行本「冒險ターザン」が登場して人気となり[78][79]、同年8月には少年誌「冒険活劇文庫」(後の「少年画報」、明々社)が登場[30]、翌1949年2月にはそれらの対抗として少年少女誌「少年少女冐險王」(秋田書店)も登場した[30]。また1947年には冒険物の紙芝居「少年王者」の翻案を初めとする絵物語本の「おもしろブック」シリーズ(集英社)が登場し[80]、1949年8月にはその「少年王者」を看板とした少年少女誌「集英社の少年少女おもしろブック」が登場した[81][73]。これら少年少女誌は少年誌寄りであったとされる[82]。また、前述の『少女』の登場もあり、これら新興漫画誌の人気によって「赤とんぼ」「銀河」「少年少女の広場」(旧 「子供の広場」)などの少年少女誌が廃刊に追い込まれた[83][84][85]。「少年少女の広場」の編集者の猪野省三[86]はこれら新興漫画誌をカストリ雑誌の子ども版だと批判し[83][84][85]、また「銀河」の創刊および編集に関わっていた滑川道夫[87][88]も児童向け小説や漫画の悪書追放を訴え[89]、これが後の悪書追放運動(マンガバッシング)へと繋がっていく。

1951年には前述の「おもしろブック」の姉妹誌として少女向けの『少女ブック』が登場した。少女ブックでは前述の『あんみつ姫』を踏襲して1951年より『てるてる姫』(早見利一)を、1953年より『もん子姫諸国漫遊記』(倉金章介・宮崎博史)を連載した[90]。また少女ブックでは1951年に女性作家上田としこの『ボクちゃん』も連載したが、『ボクちゃん』は田河水泡のコマ割りと手塚治虫の「映画的なストーリー展開」を参考にして描かれていたとされる[91]。一方、旧来の『少女クラブ』でも1953年手塚治虫ストーリー漫画リボンの騎士』を連載し、この頃から少女誌では従来の絵物語などを押しのけて少女漫画の比重が高まっていくこととなった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:591 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef