少女漫画
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またテレビドラマでは1976年の嫁姑問題物の「となりの芝生」で「辛口ホームドラマ」が確立し[391]、次いで1977年夏には家庭の崩壊を描く「岸辺のアルバム」が登場[392][391][注 26]、その後の主婦向けのドラマでは「金曜日の妻たちへ」(1983年)や「くれない族の反乱」(1984年)のような不倫物が流行して「金妻症候群」や「金妻する」や「くれない族」が流行語となった[393]。1984年には離婚家庭の増加によって離婚家庭が死別家庭を上回り[394][395]、1985年には小説「家庭内離婚」が登場して[396]翌1986年にそれがドラマ化され[397]同語が流行語となり[396]、同1986年には「タンスにゴン」のCMから「亭主元気で留守が良い」というキャッチコピーが登場して流行語となった[398][399]。この頃に大人の女性向けの漫画が成長し、離婚や不倫などをテーマとしたレディースコミック[400]がジャンルとして確立した[401][402]。少女漫画でも1983年に『DUO』で家庭崩壊物の『夢虫・未草』(大島弓子)が登場している[403][404]。またその後にはレディースコミックよりも下の世代向けのジャンルとしてヤング・レディースも登場した。

また、1983年にフジテレビのゴールデンタイムのドラマ枠「月曜ドラマランド」が登場し、その枠で4コマ漫画や少女漫画のドラマ化が行われるようになった。初期のドラマ化された少女漫画作品には『あんみつ姫』(倉金章介)と『うっふんレポート』(弓月光)が存在する。

その後、1985年4月にはフジテレビで高校生アイドルオーディション番組「夕やけニャンニャン」が始まり、その番組の中でアイドルグループ「おニャン子クラブ」が結成された。同年7月リリースのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」がヒットし、この頃にブルセラショップが誕生して90年代に掛けて増加していく。一方、同7月には「東京女子高制服図鑑」が出版されて学校選びに制服のデザインが注目されるようになり[405]、またDCブランドブームもあって、学校ではブレザー型の制服へのモデルチェンジが進んでいった[406]。なお前述のドラマ枠「月曜ドラマランド」では「おニャン子クラブ」を起用して『有閑倶楽部』(一条ゆかり)、『ピンクのラブソング』(飯塚修子)、『ないしょのハーフムーン』(赤石路代)などの少女漫画がドラマ化された。

1987年には「おニャン子クラブ」から工藤静香がソロデビューを果たして人気となり[407]、少女漫画からは1989年に工藤静香似の主人公の『マリンブルーの風に抱かれて』(矢沢あい)が登場した[408]。また同1989年にはアイドル歌手「田村英里子」がデビューしてそのタイアップテレビアニメ『アイドル伝説えり子』が放送され、そのアニメが『月刊ASUKA』で少女漫画化されている(漫画は河原歩)。

また、1981年にはニューハーフの六本木美人「松原留美子」がデビューして「ニューハーフ」という言葉が定着した[409]。このニューハーフブーム受けて、少年漫画から同年に「ストップ!! ひばりくん!」が登場し人気となって1983年5月にテレビアニメ化された[410]。少女漫画からは同1983年3月に『前略・ミルクハウス』(川原由美子)が、1986年に『ここはグリーン・ウッド』(那州雪絵)が登場している(男の娘#漫画史)。

その他、1980年代には「少年隊」や「光GENJI」などのジャニーズ事務所所属の少年アイドルグループのブームもあり、少女漫画でも『別冊少女コミック』に少年アイドルグループ物の『はじめちゃんが一番!』(渡辺多恵子)が登場している。


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