少女漫画
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女性誌では1977年に「an・an」「non・no」「JUNON」の上位誌としてニューファミリーをメインターゲットに据えた「クロワッサン」「MORE」「ARURU」が登場したものの部数が伸びず[383][注 24]、1978年には「ARURU」が休刊し[383]、「クロワッサン」も「女の新聞」へとリニューアルされ[386]、それにより「クロワッサン」は離婚を含めたシングル謳歌を広めていくこととなった[387][386]。1979年には「キャリアウーマン」が流行語となり[388]、また、同年にはハーレクイン小説の日本語版も登場している[388]。1980年には女性向け就職情報誌とらばーゆが誕生し、「とらばーゆする」が流行語となった[389]。1980年代には日本の貿易黒字が世界最高になり、1986年の男女雇用機会均等法の施行で女性の職業選択の幅も広がった。そんな中で1980年代半ばにはOL向け女性漫画誌の『オフィスユー』が登場した。

一方、1970年代後半には前述の校内暴力に合わせて子供から親への家庭内暴力も注目されるようになった[注 25]。またテレビドラマでは1976年の嫁姑問題物の「となりの芝生」で「辛口ホームドラマ」が確立し[391]、次いで1977年夏には家庭の崩壊を描く「岸辺のアルバム」が登場[392][391][注 26]、その後の主婦向けのドラマでは「金曜日の妻たちへ」(1983年)や「くれない族の反乱」(1984年)のような不倫物が流行して「金妻症候群」や「金妻する」や「くれない族」が流行語となった[393]。1984年には離婚家庭の増加によって離婚家庭が死別家庭を上回り[394][395]、1985年には小説「家庭内離婚」が登場して[396]翌1986年にそれがドラマ化され[397]同語が流行語となり[396]、同1986年には「タンスにゴン」のCMから「亭主元気で留守が良い」というキャッチコピーが登場して流行語となった[398][399]。この頃に大人の女性向けの漫画が成長し、離婚や不倫などをテーマとしたレディースコミック[400]がジャンルとして確立した[401][402]。少女漫画でも1983年に『DUO』で家庭崩壊物の『夢虫・未草』(大島弓子)が登場している[403][404]。またその後にはレディースコミックよりも下の世代向けのジャンルとしてヤング・レディースも登場した。

また、1983年にフジテレビのゴールデンタイムのドラマ枠「月曜ドラマランド」が登場し、その枠で4コマ漫画や少女漫画のドラマ化が行われるようになった。初期のドラマ化された少女漫画作品には『あんみつ姫』(倉金章介)と『うっふんレポート』(弓月光)が存在する。

その後、1985年4月にはフジテレビで高校生アイドルオーディション番組「夕やけニャンニャン」が始まり、その番組の中でアイドルグループ「おニャン子クラブ」が結成された。同年7月リリースのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」がヒットし、この頃にブルセラショップが誕生して90年代に掛けて増加していく。一方、同7月には「東京女子高制服図鑑」が出版されて学校選びに制服のデザインが注目されるようになり[405]、またDCブランドブームもあって、学校ではブレザー型の制服へのモデルチェンジが進んでいった[406]。なお前述のドラマ枠「月曜ドラマランド」では「おニャン子クラブ」を起用して『有閑倶楽部』(一条ゆかり)、『ピンクのラブソング』(飯塚修子)、『ないしょのハーフムーン』(赤石路代)などの少女漫画がドラマ化された。


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