また世界名作劇場以外でも西洋舞台の名作文学の雰囲気を持つ作品が登場した。1975年、『なかよし』に名作文学の雰囲気を持つ『キャンディ?キャンディ』(原作:水木杏子、漫画:いがらしゆみこ)が登場し[339]、1976年にアニメ化され人気となり、『なかよし』の部数を押し上げた[340]。1978年には『りぼん』でもそれに対抗した『ハロー!マリアン』(佐伯かよの)が登場した[341]。また、1979年には『キャンディ?キャンディ』の後番組として東映魔女っ子シリーズからも西洋舞台の「花の子ルンルン」が登場し、その影響などによって「ルンルン気分」という言葉[332]や「ルンルン」という擬音が広く流行した。一方、少年漫画では「ぶりっ子」という言葉が流行し、それに符合する女性アイドル松田聖子が人気となり、女学生にも聖子ちゃんカットが流行となった。松田聖子は1980年代における「少女期の拡大」の典型例とも言われている[342][343]。少女漫画では例えば『りぼん』に『るんるんこりす姫』(みよし・らら、1981年-)が登場している。一方、ぶりっ子が増えることで反ぶりっ子感情も登場し、1981年には現役高校生作家による小説『1980アイコ十六歳』が登場してドラマ化および映画化され、1982年にはそれが週刊マーガレットで少女漫画化されている(漫画は飯塚修子)。
1970年代中盤よりファッション誌の旅行特集によって女性の個人旅行が人気となり (アンノン族)、1977年にはコンパクトな初のオートフォーカスカメラであるジャスピンコニカ(コニカC35AF)が登場して女性にも人気となった。また、1975年にファッション誌「JJ」が登場してニュートラを初めとするブランドブームが起き、1981年にはブランド小説「なんとなく、クリスタル」がヒットしてブランド志向の若者は「クリスタル族」と呼ばれるようになった[344]。少女漫画では1970年代後半より外国を舞台とした作品が減少していき[225]、代わりにセレブ物の『有閑倶楽部』が登場して人気となった。
また、1982年に西武百貨店のキャッチコピー「おいしい生活」がヒットすると、いかに日々の生活を満喫するかという価値観が広まり、フィクションよりも現実世界を追い求める風潮が強まった[345][346]。女性はおいしい生活を求めて男を求めるようになり[345]、「愛人バンク 夕ぐれ族」の登場によって援助交際が増加していった[347]。この頃に青年漫画では「愛人」、ドラマでは「愛人バンク殺人事件」(土曜ワイド劇場内)が登場し、少女漫画でも『愛人志願落第生』(くさか里樹)が登場している。
また1980年には性豪ジャコモ・カサノヴァの伊米合作映画『カサノバ』が日本でも公開され[348]、少女漫画では1983年にタラシヒーローの『東京のカサノバ』(くらもちふさこ)が登場して人気となった[349]。「くらもちふさこ」はその後も三股ヒーローの『A-Girl』(1984年)などを出している[350]。
またヤマハ音楽教室などによってピアノの普及が進んだことで、ピアノ物の少女漫画も登場し人気となった。これには1975年よりの『オルフェウスの窓』(池田理代子)や、1980年よりの『いつもポケットにショパン』(くらもちふさこ)がある[351]。その後、1985年、バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「お嬢さまを探せ」のコーナーによって若者の「お嬢さまブーム」[注 20]が起きて[353][354]すぐに、ソ連の天才ピアニストのスタニスラフ・ブーニンが来日して人気となり、ブーニンはその追っかけの対象となったとされる(ブーニン現象)[354]。