氷室と新井は1977年(昭和52年)にデビューすると[33]、1980年(昭和55年)に氷室は学園もの「クララ白書」[34]、新井はSF「星へ行く船」[35]でそれぞれ人気を獲得している。2人の特徴は自身が若い女性であり、読者の同年代の少女たちを等身大の文体で活写し[36][35]、それでいて物語はしっかりしていたことにある[37]。女の子の一人称「あたし」で書き進められる新井の文体は一世を風靡し[38][39]、現在の少女小説にも受け継がれている[40][33]。その後もコバルト文庫は、久美沙織「丘の家のミッキー」、藤本ひとみ「まんが家マリナシリーズ」とヒット作を生み出し[41]、少女小説の文庫として確固たる地位を築いた。
1987年(昭和62年)、講談社が少女小説の文庫X文庫ティーンズハートを発刊すると、少女小説ブームが訪れる[42][43]。X文庫ティーンズハートの画期的な点は団塊ジュニアであるイチゴ世代に対する徹底的なマーケティングで[44]、象徴的存在が花井愛子である[42]。コピーライターとしてX文庫ティーンズハートの立ち上げから企画に関与していた花井は、独自の文体・物語・装幀を考案して少女の心をつかみ、総計200冊、2000万部を売り上げたと言われている[45][46]。
ブームが嵩じるまで、コバルト文庫は「少女小説」として広報していたものの、一般には「ジュニア小説」とされることが多かった。花井愛子が積極的に取材に応じ、「少女小説」との発言を重ねたことにより、コバルト文庫を含めた「少女小説」の認知が広まった[47]。 少女小説ブームを担ったイチゴ世代
平成
また1994年(平成6年)ごろ、男性同士の恋愛を描いた作品を掲載する漫画雑誌・小説誌が多数発行されるようになり、それまでJUNE、耽美と呼ばれていた作品が、ボーイズラブとして広く一般的に読まれるようになった[53][54]。