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おだか めぐみ
小高 恵美
本名小高 恵美
生年月日 (1972-05-09) 1972年5月9日(52歳)
出身地 日本
神奈川県横浜市
血液型A型[1]
職業女優・歌手
ジャンル映画・テレビドラマ・舞台
活動期間1987年 -
著名な家族小高雄二(叔父)
清水まゆみ(外縁の叔母)
事務所東宝芸能(2000年退社)
主な作品
映画
『竹取物語』
「平成ゴジラシリーズ」
テレビドラマ
『花のあすか組!』
演劇
『アンの愛情』
『魔女の宅急便』
受賞
日本アカデミー賞
第11回新人女優賞
1987年『竹取物語』
その他の賞
備考
第2回(1987年)東宝「シンデレラ」オーディショングランプリ
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小高 恵美(おだか めぐみ[出典 1]、(1972年(昭和47年)[出典 2]5月9日[出典 3] - )は、日本の女優。東宝芸能に所属していた。本名同じ[6]。 神奈川県[3][4]横浜市出身[出典 4]。堀越高等学校卒業[6]。叔父は俳優の小高雄二、外縁の叔母は女優の清水まゆみ[9][5]。 出生地は母の実家のある栃木県[6]。その後東京都内に転居した後に、祖父が町医者を務めていた逗子市内に転居[6][12]。小学4年生の時に三浦郡葉山町[6]、小学6年生の時に横浜市内に転居するが、通っていたのは逗子市内の小学校のままだったので、電車で1時間ほどかけて通学していた[6]。 中学時代は病的な胃弱や低血圧に苦しみ、校庭の隅で胃下垂防止の逆立ちを行うことを医師から日課にするよう指示されるほどであった。そんな自分を変えたい一心で、小高雄二・清水まゆみの叔父夫妻からも後押しされる形で[12]応募した、1987年に開催された第2回『東宝「シンデレラ」オーディション』でグランプリに選ばれる[出典 5]。歌唱審査では童謡の「もみじ」を歌い、実妹とデュエットしたエピソードを披露。同年公開の映画『竹取物語』で女優デビューした[出典 6]。同作品で第11回日本アカデミー賞新人女優賞を受賞[2][5]。 1988年3月、シングル「早春の駅」で歌手デビュー[5]。当時はアイドル歌手のような売り出し方で、キャッチフレーズは「コンセプトは…正統派。」「野に咲く歌声」。その直後、『花のあすか組!』(フジテレビ)のオーディションを受け主演に抜擢[5]、長い髪をバッサリ切りボーイッシュかつ活発なキャラクターに変貌する[注釈 1]。第1話で髪を切るシーンは、実際にハサミで自分の髪を切っている。同番組では、いじめられっ子から一転、裏番組織と戦う女子中学生役を演じた。その後も、映画、テレビドラマ、ミュージカルなどに多数出演した。しかし元来病弱な上に、遠距離通学・通勤が重なりながらも芸能活動を行っていたため、後述のような引退に繋がった。 小高は、『ゴジラvsビオランテ』(1989年)から『ゴジラvsデストロイア』(1995年)まで、6作連続で一貫して超能力少女・三枝未希(さえぐさみき)役を演じた[出典 7]。ゴジラシリーズの長い歴史の中でも、同一俳優が同一役柄で6作も出演しているのは小高だけである[5][注釈 2]。サンリオピューロランドのアトラクション「夢のタイムマシン」で1994年から1997年に上映された3D映画『怪獣プラネットゴジラ』にも同役で出演した[11][5]。 当初はゴジラに対して怪獣としてのイメージしかなく、初めてスーツを見たときも怖くて近寄れなかったというが[1][11]、出演を重ねるにつれ哀愁を帯びたゴジラの後ろ姿が当時の理想の男性像になっていったと語っている[11][9]。 また、初期は役に入るのに時間がかかり、現場でも撮影に関係のない話はせずにいたが、『ゴジラvsメカゴジラ』のころからは10分程度で切り替えられるようになり、共演者とも雑談を交わせるようになったという[1]。
人物
ゴジラシリーズ