中選挙区時代では、候補者たちは広い選挙区を選挙カーで走り回り、駅前の演説、各地の支持母体での講演などたくさん活動せねばならず、候補者たちは体力的に重労働で、選挙活動に多額の人とお金がかかっていた[2]。
また、中選挙区制では、各選挙区の定数3?5人の定員に対し、自民党内の各派閥から複数の候補が乱立して出馬して、それが、自民党内の派閥同士の熾烈な争い、自民党の金権政治、派閥の論理、密室政治を生んだ、と批判された[3]。
また、そういった候補者たちの懐事情を察知して、大企業が自分たちの意向を政治に反映してもらおうと政界に秘密裡に多額の献金をするケースも相次いだ(詳細は「リクルート事件」「東京佐川急便事件」「ゼネコン汚職事件」を参照)。このように日本の中選挙区制度は、自民党の派閥中心の選挙・金銭授受の蔓延・政権交代の不在と緊張感の喪失、汚職政治、日本政治の欠陥とされ、国民から大きな政治不信を招いた(詳細は「55年体制」を参照)。