中選挙区時代では、候補者たちは広い選挙区を選挙カーで走り回り、駅前の演説、各地の支持母体での講演などたくさん活動せねばならず、候補者たちは体力的に重労働で、選挙活動に多額の人とお金がかかっていた[2]。
また、中選挙区制では、各選挙区の定数3?5人の定員に対し、自民党内の各派閥から複数の候補が乱立して出馬して、それが、自民党内の派閥同士の熾烈な争い、自民党の金権政治、派閥の論理、密室政治を生んだ、と批判された[3]。
また、そういった候補者たちの懐事情を察知して、大企業が自分たちの意向を政治に反映してもらおうと政界に秘密裡に多額の献金をするケースも相次いだ(詳細は「リクルート事件」「東京佐川急便事件」「ゼネコン汚職事件」を参照)。このように日本の中選挙区制度は、自民党の派閥中心の選挙・金銭授受の蔓延・政権交代の不在と緊張感の喪失、汚職政治、日本政治の欠陥とされ、国民から大きな政治不信を招いた(詳細は「55年体制」を参照)。このような背景から、衆議院の新しい選挙制度として、小選挙区制導入案が提示された。
新しい小選挙区制度では、従来の派閥中心の選挙から政党本位・政策本位の選挙への転換、その結果、政権交代が起きやすくなること、各政党が政策立案、政権運営の担当能力を磨くこと、一党優位政党制の転換、二大政党制への実現[4]、を目標としていた。
1994年、細川内閣のもとで公職選挙法が改正され、衆議院に「小選挙区比例代表並立制」(拘束名簿式比例代表制)が導入された[5]。
1996年以降の衆議院議員総選挙から、従来の中選挙区に代わって、この「小選挙区比例代表並立制」が新しくスタートした。小選挙区比例代表並立制は、現在も続いている選挙制度である。
この小選挙区比例代表並立制の特徴は次の通りである。
重複立候補制度によって双方の制度が一部連動している。
政党は小選挙区の候補者も比例代表の名簿にも登載できる。
比例代表候補者に所属政党は順位を付けることもできるが、重複立候補者については同順位とすることもできる。
同順位とした場合、実際の順位は小選挙区における惜敗率によって決定される[6][7][8]。
衆議院は小選挙区と比例代表制(拘束名簿方式)の並列制、参議院は都道府県単位の選挙区制(大選挙区制)と全国単位の比例代表制(非拘束名簿方式)の並列制をとっている。
1983年より参議院議員通常選挙で比例代表制と選挙区制が並立的に用いられているが、こちらは衆議院議員総選挙と違って、重複立候補を認めていないため、惜敗率による名簿順位の変動は発生しない[9][7]。
重複立候補した議員が小選挙区で当選した場合、比例代表名簿から除外されるが、小選挙区で落選した場合、比例代表で惜敗率が高いほど、復活当選の可能性がある。しかし、小選挙区でも出馬していた場合、供託金没収ラインでもある有効投票総数の10分の1の得票を得られていないと復活当選の資格を失う[10][7]。
制度改革に伴い地盤を同一にする候補者が出たため、コスタリカ方式により候補者の調整がなされた。
衆議院における並立制の導入の経緯については「政治改革四法」を参照。 選挙区の狭い小選挙区制になったことで、候補者たちは選挙区内を隈なく回れるようになり、選挙活動費も、比較的低く抑えるられるようになった。また、政党本位、政策本位を前面に出した選挙戦は、二大政党制をうながし、政権交代が可能な制度となった。しかし、小選挙区比例代表並立制の「小選挙区制」と「比例代表制」にはそれぞれ次の特徴がある。
批評
小選挙区制・・・最高得票者がシンプルに当選するが、それ以外は死票となり、死票が多く出るという欠点がある。