これらを除く島は無人島である。ちなみに、小笠原群島(右地図赤丸で囲った部分)は小笠原諸島の一部の名称であるが、時折混同され、小笠原群島の意味で小笠原諸島と呼ばれることがある。
諸島を構成する島
狭義の南方諸島
小笠原群島
聟島列島 - 聟島、嫁島、媒島、北ノ島 他などなど
父島列島 - 父島、兄島、弟島 他
母島列島 - 母島、姉島、妹島 他
西之島
火山列島(硫黄列島) - 北硫黄島、硫黄島、南硫黄島
孤立した島々 - 南鳥島、沖ノ鳥島
自然オセアニア区の地図。北西端のOC0109が小笠原諸島である詳細は「小笠原諸島の自然」を参照
小笠原諸島は生物地理区の区分上において、日本で唯一オセアニア区に属している[6]。また、形成以来ずっと大陸から隔絶していたため、島の生物は独自の進化を遂げており、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれるほど、貴重な動植物が多い。しかし、人間が持ち込んだ生物や島の開発などが原因でオガサワラオオコウモリやオガサワラノスリ、アカガシラカラスバト、ハハジマメグロなどの動物やムニンツツジ、ムニンノボタン(セブアノ語版)といった植物など、いくつかの固有種は絶滅の危機に瀕している。周辺の海域では多くの魚類、鯨類(クジラやイルカ)、サンゴが生息しており、それらを見るために島を訪れる人も多い。また陸上では特に固有のカタツムリの動物相と維管束植物の植物相が豊富である一方、人間が持ち込み野生化したヤギも生息しており、森林の破壊や表土の流失、固有植物の食害などの問題をもたらしている[7][8]。 123456789101112
指定
1972年(昭和47年)10月16日:一部の島や地域を除き小笠原国立公園として、国立公園に指定された。
1980年(昭和55年)3月31日:国指定小笠原諸島鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)に指定された(面積5,899ha、うち特別保護地区1,331ha)。
2011年(平成23年)6月24日:国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の第35回世界遺産委員会にて、世界自然遺産に登録が決定(正式登録は6月29日)[9]。
気候 雨温図
65 2116 58 2015 77 2217 118 2319 145 2521 135 2824 81 3025 113 3026 131 3026 132 2824 128 2621 109 2218
気温(°C)
総降水量(mm)
出典:気象庁
インペリアル換算
123456789101112
2.6 6960 2.3 6860 3 7162 4.7 7466 5.7 7870 5.3 8275 3.2 8678 4.4 8679 5.2 8578 5.2 8375 5 7870 4.3 7264
気温(°F)
総降水量(in)
123456789101112
72 2520 43 2419 43 2520 72 2722 90 2924 61 3126 153 3126 167 3126 100 3126 80 3026 70 2925 97 2722
気温(°C)
総降水量(mm)
出典:気象庁
インペリアル換算
123456789101112
2.8 7669 1.7 7667 1.7 7868 2.9 8172 3.6 8475 2.4 8878 6 8879 6.6 8879 3.9 8879 3.2 8778 2.8 8476 3.8 8072
気温(°F)
総降水量(in)
日本の気候区分では「南日本気候」、ケッペンの気候区分では、聟島(むこじま)列島・父島列島・母島列島・西之島が温帯に、火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島が熱帯に属するが、温帯に属する地域は一般的に亜熱帯とされる。それに併せて海洋性気候にも属する。
年間を通じて暖かく、夏と冬の気温差は小さい。春から初冬にかけて台風が接近する。梅雨前線はこの地の北に現れ、太平洋高気圧の支配下となるため、北海道と同様に梅雨が無いとされる[10]。
気象庁による有人観測施設は、父島気象観測所・南鳥島気象観測所( 2か所とも高層気象観測も実施)、アメダスが母島(雨量のみ観測)に設置されている。なお、小笠原諸島には気象レーダーが設置されておらず、気象レーダーによる観測が行われていない[11]。また、2008年3月26日まで、日本全国で唯一気象に関する注意報・警報および、週間天気予報は発表されていなかった[12]。ただし、小笠原諸島周辺海域は2017年現在でも地方海上予報区[13]の区域外であり、海上警報も発表されない。 古第三紀 - 凝灰質砂岩・泥岩・石灰岩などの海底噴出物より形成される[14]。 北硫黄島には先史時代(1世紀頃)のものとみられる石野遺跡がある[15]。父島の大根山遺跡でも打製石斧が発見されているが詳細な時代は不明である。 1543年10月(天文12年9月) - スペインのルイ・ロペス・デ・ビリャロボス(Ruy Lopez de Villalobos)が指揮するガレオン船サン・ファン号(San Juan)によって、火山列島が発見される[16]。この時発見されたのは小笠原群島であるとの説もある[17]。1639年(寛永16年)、ヘンドリックセン・マティス・クワスト
歴史