小竹町_(練馬区)
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郵便番号は176-0004[3]
地理

練馬区の東部に位置する。北部を板橋区小茂根、南部を同区旭丘、東部を板橋区向原、西部を同区羽沢栄町と接する。町内には、西武池袋線江古田駅北口と東京メトロ有楽町線東京メトロ副都心線西武有楽町線小竹向原駅がある。小竹向原駅練馬区小竹町と板橋区向原にまたがっているが小竹町側の改札口出入り口にはほとんど店などはない。スーパーマーケットファミリーレストランなどがあるのは向原側である。そのため小竹町の繁華街(小竹通り、日大通り、音大通り商店街)はもっぱら江古田駅側のみになる。しかし、基本的に小竹町二丁目は第一種低層住居専用地域のため3階以上の建物が建てられなかったり、商業活動に規制が厳しいため、ほとんどが住宅地として利用されている。また、小竹町と隣接する旭丘日本大学藝術学部羽沢武蔵野音楽大学などがあるため小竹向原駅江古田駅北口などは通学経路として利用されている。
世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目世帯数人口
小竹町一丁目2,984世帯5,081人
小竹町二丁目2,467世帯4,269人
計5,451世帯9,350人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目番地小学校中学校
小竹町一丁目全域練馬区立小竹小学校練馬区立旭丘中学校
小竹町二丁目全域

地価

住宅地の地価は、2015年平成27年)1月1日公示地価によれば、小竹町2-14-2の地点で45万円/m2となっている[6]
歴史

旧・武蔵国豊島郡上板橋村字小竹。小竹村として独立した扱いをされることもあった。徳川秀忠の庶子保科正之の母お静の方は武州板橋在竹村の大工ともいわれる神尾栄加の娘とされているが、この竹村は小竹村のことと考えられている。

1871年(明治4年)11月浦和県(現埼玉県)から東京府に編入された。1932年昭和7年)の板橋区成立時に小竹町となり、1947年(昭和22年)の練馬区成立時に江古田町(後の旭ヶ丘、現・旭丘)と共に移管された。1960年(昭和35年)、旭丘に一部を譲って地番整理を行い小竹町一丁目および二丁目となった。1987年(昭和62年)1月1日に住居表示を実施した。

小竹町と旭丘の2地域が練馬区に移管されたのは、元々板橋警察署江古田駐在所の管轄だったことに起源がある。江古田駐在所が1937年(昭和12年)の練馬警察署設置時に移管され、1944年(昭和19年)に板橋区役所練馬支所が設置された際にその管轄範囲を警察に合わせた。そして練馬区の独立時にその範囲をそのまま引き継いだためである。
地名の由来

地名の由来は諸説あり、不明である。
交通
鉄道

小竹向原駅

東京メトロ有楽町線

東京メトロ副都心線

西武有楽町線


バス
都営バス


小竹町二丁目停留所(環七通り

赤31・赤31-2系統 - 赤羽駅東口行、高円寺駅北口行(国際興業バス関東バス

王78系統 - 王子駅前行、新宿駅西口行(都営バス


道路

東京都道318号環状七号線(通称:環七通り)

東京都道441号池袋谷原線(通称:要町通り)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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