小田和正
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注釈^ 東京公演として10月2日、3日の2日間実施。10月3日公演では鈴木雅之がゲスト出演。
^ 追加公演として11月5日、6日、7日の3日間実施。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}最終日にあたる11月7日公演は体調不良で予定より30分遅れで開演(VISA太平洋マスターズトーナメントプロアマ戦出場後に声が出なくなったため)、MCで「この落とし前は必ず着けます」とコメント。[要出典]
^ 終了後にFNS歌謡祭に出演。
^ 1991年12月に2公演、1992年に1公演実施。
^ 1月18日、19の2日間実施。1月19日公演では映画『いつか どこかで』の出演者時任三郎、藤原礼美、宅麻伸がゲスト出演。[要出典]
^ 4月1日、2日の2日間実施。
^ 追加公演として4月23日、24日、25日の3日間実施。最終日に当たる4月25日はアンコールでCHAGE and ASKAがゲスト出演、3人で「SAY YES」を歌う。小田は「駆け出しの2人が来ています」と紹介。[要出典]
^ 2月に2公演を予定していたが、阪神淡路大震災による倒壊のため中止。代替公演として4月に御影公会堂裏で行われたイベント『神戸元気村』でミニライブを実施。コンサート・グッズなどの売り上げの一部を義援金に充てた。その後1999年6月に新装し、同年6月15日、『FUN MORE TIME! FINAL』として改めて行われた。このときのゲストは泉谷しげる。
^ 4月27日と4月28日、5月22日と23日に2公演ずつ行われた。4月28日公演では島倉千代子と佐藤竹善、5月22日公演では鈴木雅之がそれぞれゲスト出演した。5月23日公演はVTR収録が行われ、[要出典]その模様はファンクラブ会員限定ビデオ『LIFE-SIZE 1995』に収録された。
^ 前回のツアー終了後、「次にツアーをやるときには神戸から始めたい」という小田の申し出により実現したもの。[要出典]
^ 9月20日の公演が小田の50歳の誕生日ということもあり、アンコールの前にスタッフが用意したバースデーケーキとファンからの「ハッピーバースデー」の大合唱に驚く場面があった。[要出典]
^ 12月10日、11日の2日間実施。翌年2月3日には追加公演として実施。ライブビデオの収録も行われた。
^ 1月30日、31日の2日間実施。1月31日公演ではツアーメンバー山本潤子と今滝真理子のソロコーナーがそれぞれ設けられたほか、佐藤竹善がゲスト出演。PLUS ONE「クリスマスが過ぎても」を披露。[要出典]
^ 7月26日、27日の2日間実施。
^ 松山千春がゲスト出演。[要出典]
^ 『ご当地紀行』で市内の動物園を訪れたとき、中高年の女性ファンから財津和夫に間違えられるというハプニングが起きた。このとき「もう二度と熊本には来ません!」と冗談交じりにコメントしたが、[要出典]以後、熊本でのコンサートは2011年のグランメッセ熊本まで実施されなかった(2005年のツアーのご当地総集編(12月の日本武道館公演)で熊本を取り上げたときにもその映像が使われ、「それ以来、熊本には一度も来ていない」という字幕が付けられた)。[要出典]
^ 10月11日、12日の2日間実施。最終日でアンコールの最中にカウントダウン・コンサートの開催を発表し、観客を驚かせた。[要出典]
^ 明治生命も協賛。
^ 当日は渋谷の街頭ビジョンで生中継された。
^ ASKA大友康平がゲスト出演。[要出典]
^ コンサート終了後、NHK総合テレビ『音楽旅人』の収録で笑福亭鶴瓶と対談。
^ 8月6日、7日の2日間実施。8月7日公演はファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2002』に収録された。
^ 8月17日、18日の2日間実施。
^ 8月と10月に2公演ずつ実施。
^ 鈴木雅之がゲスト出演する予定だったが、体調不良のためキャンセル。[要出典]
^ 財津和夫がゲスト出演。[要出典]
^ ソロとしては初の沖縄公演だが、オフコース時代を含めると1987年9月以来。
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