さまざまな役をこなしたが、特に悪役での憎々しい演技に定評があった。『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』ではいずれも仇役を好演し[7]、『白い巨塔』での鵜飼教授役は劇場版のほか、テレビ版でも演じ、当たり役とした。『新・平家物語』で信西を演じた際には、視聴者から助命嘆願ならぬ殺害嘆願が多数届き、『元禄太平記』『赤穂浪士』『忠臣蔵異聞 生きていた吉良上野介』の3作では吉良上野介を演じ、その憎々しい演技でハマリ役と言われた。
1959年(昭和34年)、『十二夜』からは舞台演出も始め、『セチュアンの善人』『東海道四谷怪談』等の演出作がある。1969年(昭和44年)、俳優座を退団する[1]。
1987年11月、「あまつ空なる」の公演中にスタッフに「肺癌だが頑張るよ」と語っていたが、1988年1月に体調を崩し1カ月間入院。その後、神奈川県逗子市小坪の自宅で静養。静養中、市川猿之助とともに「イタリア喜劇をやりたい」と語っていたが、同年4月23日午前11時40分、肺癌のため自宅で死去。79歳没。葬儀は俳優座劇場で行われ、千田是也が葬儀委員長を務めた[8]。
私生活では艶福家として有名であり、2度の結婚を経験している。最初の妻との間に演出家の小沢僥謳を授かるも、堀阿佐子や山岡久乃と浮名を流し[5]、初妻は栄太郎・山岡が関係を清算した矢先とされた1954年に自殺。1974年(昭和49年)には37歳も年下の女性と再婚し[5]、老いらくの恋と騒がれたが、この妻とは終生連れ添った。 ※「 - 」は役名
受賞・受章歴
1946年:第1回毎日映画コンクール 演技賞『大曾根家の朝』
1959年:週刊読売新劇賞 演出賞『十二夜』
1984年:第19回紀伊國屋演劇賞 個人賞『遁走譜』
1988年:勲四等旭日小綬章[5]
出演作品
映画『大曾根家の朝』(1946年)
三色旗ビルディング(1935年、P.C.L.) - 保険屋谷本
都会の怪異七時三分(1935年、P.C.L.) - 巡査
桃中軒雲右衛門(1936年、P.C.L.)
忠臣蔵(1939年、東宝映画) - 戸田采女正
空想部落(1939年、南旺映画) - 黒住長慶
多甚古村(1940年、東宝映画) - デレ助
母子草(1942年、松竹)
花咲く港(1943年、松竹) - 野長瀬修三
海軍(1943年、松竹) - 隆夫の父
水兵さん(1944年、松竹) - 鈴木兵曹(横須賀海兵団の教班長)
君こそ次の荒鷲だ(1944年、松竹) - 熱血訓導西沢
煉瓦女工(1946年、南旺映画) - 林造
大曾根家の朝(1946年、松竹) - 大曾根一誠
結婚(1947年、松竹) - 島本
長屋紳士録(1947年、松竹) - 父親
女優須磨子の恋(1947年、松竹) - 中村吉蔵
懐しのブルース(1948年、松竹) - 立松通房
女(1948年、松竹) - 町田正
肖像(1948年、松竹) - 金子
破戒(1948年、松竹) - 高柳利三郎
わが恋は燃えぬ(1949年、松竹) - 早瀬龍三
深夜の告白(1949年、新東宝) - 早川(航空機会社の社長)
破れ太鼓(1949年、松竹) - 木村経理部長
暁の脱走(1950年、新東宝) - 副官
脱獄(1950年、東宝) - 孝之助
醜聞(1950年、松竹) - 堀
レ・ミゼラブル ああ無情(1950年、東横映画) - 安藤
風にそよぐ葦(1951年、東横映画) - 岡部編集長
愛と憎しみの彼方へ(1951年、東宝) - 鎌田与助
自由学校(1951年、松竹) - 加治木
ブンガワンソロ(1951年、新東宝) - スヘイマン
源氏物語(1951年、大映) - 御門
命美わし(1951年、松竹) - 快雲
母ものシリーズ(大映)