愛・地球博やナゴヤ球場・レインボーホール・名古屋城をはじめとするビッグイベントでは数千人を超える動員を記録。『こころのおくすり』『こころが元気になる31のヒント』など本の出版の際に行なわれる書店のサイン会で整理券は即日完売、ベストセラー、ランキングで1位を記録するなど東海地区で絶大な支持がある。
番組や著作物を通じて「夢+努力=現実」を提唱。これは「夢の方程式」とも呼ばれ、小森が特に強調するモットーである。連載エッセイではプロ並みのイラストもこなす。近年では童話の出版や新聞連載など、活動は多岐にわたる。
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災時は自ら現地に飛びリサーチ。番組で出来ることを、と救援テレカ支援を企画。累計800万円を超える募金をラジオ関西・兵庫県学童保育連絡協議会・あしなが育英会などを通じ5年間に渡り寄付。2003年(平成15年)からはタネを集めて砂漠の緑化に協力する’緑のたまごプロジェクト’を、2007年(平成19年)名古屋城の夏フェスからは、ペットボトルのキャップを集めて世界の子供たちにワクチンを贈る“エコキャップレボリューション”を展開した。
また、1997年に逝去した父・八七郎の遺志を受け継ぎ、2006年(平成18年)から抗がん剤の副作用に苦しむ人のためにメディカルウィッグ(医療用かつら)通信販売組織「アンジェリック」をボランティアで設立。2006年1月より公式サイトを立ち上げた(彼女と公私ともに親交が厚く、2003年春に発病したスキルス性胃癌との闘病生活を経て2004年、44歳の若さで早世した岡崎律子への想いもあるという)。
2011年6月26日に自身の体調不良のため、6月末をもって活動休止することを発表した。2012年(平成24年)4月30日にラジオNIKKEIで放送された『「ヤロメロ」35周年記念 公開生放送』に電話出演して以来、公式には声や姿を現しておらず、夫の山崎理がTwitterで小森について触れたり代理でコメントを発信する程度で、公に発表したコメントもラジオ関西『青春ラジメニア』が放送開始30周年を記念して2019年3月に発行したアニバーサリーブックに寄稿したコメントが最新だった。
2019年9月、公式サイト『小森まなみのM's Garden』及びブログがリニューアルし更新を再開。
2019年9月22日、東海ラジオ開局60周年の特別企画として『mamiのRADIかるコミュニケーションスペシャル?ラジオがくれた贈り物』の1時間生放送。ツイッターの日本トレンド1位、全世界のトレンド10位を記録する。
生放送前には『開局60周年記念 東海ラジオ大感謝祭2019』の中の「日曜も歌謡曲 スペシャルステージ」(オアシス21)にアシスタントのミンキー・ヤスとともに出演。約7年半ぶりに公の場に姿を見せた[9][10]。
自身の誕生日前日に当たる2023年10月15日、1983年12月でアーティストデビューして40周年になるのを節目として、2024年3月31日をもって「マイクオフ」として全ての活動から身を引くことを発表した。あわせてアーティスト活動の集大成としてファイナルベストアルバムをリリースすることも発表した[11][12]。
略歴
1976年(昭和51年)
日本大学第二高等学校1年時、ザ・バーズに選抜され全国高等学校サッカー選手権大会イメージソング「ふり向くな君は美しい」をビクターよりリリース[1]。
1979年(昭和54年)
日本大学芸術学部在籍中、ニッポン放送で声のアルバイトをしていたのをきっかけに、「変わった声を持ってるね」とスカウトされ、同局の番組『燃えよせんみつ足かけ二日大進撃』の一コーナーを担当。
1980年(昭和55年)
4月4日 - ラジオたんぱ『ヤロメロジュニア出発進行!』金曜日を学生DJとして担当。これがパーソナリティとしての本格デビューとなる。以後、ラジオたんぱでは1993年(平成5年)3月の『赤坂学園新鮮組エスクエラやろうぜ!』終了まで番組を担当。
当時10歳先輩であった大橋照子/斉藤洋美と共に「たんぱ三人娘」と呼ばれ一大ブームとなる。
ラジオ情報誌「ラジオマガジン」DJ人気投票ではブロンズマイク賞を受賞。この時のゴールデンマイク賞はALFEE、シルバーマイク賞石川優子。
1981年(昭和56年)
4月 - NHKラジオ第2放送にて、レギュラー番組『ひる休みのおくりもの ミルキィタイム』スタート。
1982年(昭和57年)
テレビ東京にてドキュメンタリー番組『DJマミ・涙の卒業』(ラジオパーソナリティとしてデビューして2年。大学卒業式、江の島でのハガキ供養、ラジオたんぱ公開生放送など)が放送され話題になる。
4月 - 静岡第一テレビで放送された、生放送の若者向け情報番組「JanJanサタデー」にレギュラー出演。本格的なテレビレギュラー司会はこれが初めて。チェッカーズ・X JAPANなどと友好を持つ。この司会はラサール石井とともに1989年(平成元年)9月まで継続。
1983年(昭和58年)
4月 - ラジオ大阪にて、『サッポロ一番 小森まなみのドキドキNight』スタート。
4月29日 - 初の著書『ハートいっぱい抱きしめて』出版。
12月1日 - CBSソニーより秋元康プロデュースでシングル『翼をつけて Love Song』と四枚組シングル『You』を発売。レコードデビューを果たす。
レコード関係者によるファンクラブもでき、2万人を超えたが、「ファンとアイドルの関係みたいで、ラジオのポリシーからはずれる。人気に興味ない」と1年で解散を宣言。
新宿ルイードにて初ライブ。チケットが即日完売したため、急遽同じ日に追加公演が決まる。
1984年(昭和59年)
10月13日 - ライフワークとなる番組『mamiのRADIかるコミュニケーション』(通称RADIコミ)開始。この番組を通じて、ほぼ現在の話法が確立される。
1986年(昭和61年)
テレビ東京『おはようスタジオ』月曜レギュラー。“マンデーマミ”のコーナーを担当。
5月5日 - キングレコードより初のLP『HERTZ』を発売。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}カセット・LDも同時発売は珍しかった。[要出典]
以後、小森まなみ名義での音盤は2005年(平成17年)頃までキングレコードより発売される事になる。
ラジオ情報誌「ラジオパラダイス」DJ人気投票で年間ランキング1位となる。
以後1989年(平成元年)7月から1990年(平成2年)5月まで11回連続1位、さらに年間ランキング1位に4回輝く。
タカラ『リカちゃん』イメージキャラクターに選ばれる。リカちゃんとテレビCM出演。イメージアルバム『永遠の少女たちへ』リリース。
ロッテ『キウイフルーツバブアップ』CM出演。