小林誠司
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2015年はシーズン開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された[24]。3月10日の第1戦に途中出場している[25]。シーズンは、同級生である菅野とのバッテリーで、初の開幕戦先発出場を果たした。この年は阿部の故障や一塁手転向で前年同様先発出場の機会が増え、70試合に出場したが打撃面では前年同様2本塁打を記録するも打率は下がったが、守備面では盗塁阻止率.438と前年を上回った。オフに、100万円増の推定年俸2600万円で契約を更改した[26]

2016年は阿部の故障による出遅れもあり開幕から先発出場を続けた。6月の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で死球を受け左肩を骨折し、一時離脱があったものの最終的に自己最多の129試合に出場して12球団の捕手で唯一規定打席に到達し、また守備面では盗塁阻止率.356と4割を下回ったがセントラル・リーグトップの盗塁阻止率を記録するなど正捕手に定着した。打撃は規定打席最下位の打率.204と課題を残したが、巨人の右打者の捕手が規定打席に到達するのは1987年の山倉和博以来29年ぶりだった。398打数81安打の打率.204は21世紀に入ってからは最低打率であり、仮にあと2安打少なければ打率.198の1割台で、1982年の山倉が記録した規定打席到達中最下位の打率.196にせまる34年ぶりの記録となるところだった[27]。オフに、2400万円増の推定年俸5000万円で契約を更改[28]。2017年1月には自ら丸刈りにしグアムで阿部と合同自主トレを行った[29]

2017年はシーズン開幕前の3月に開催された第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選出された。日本代表の正捕手として全7試合に先発出場し、守備面では準決勝のアメリカ合衆国戦でアダム・ジョーンズの盗塁を阻止[30]、ワンバウンドの変化球もすべてブロックし捕逸は0、ピンチ時の投手への声掛けなど大いに評価された[31][32][33]。課題とされた打撃面でもチームトップの打率.450(20打数9安打)、1本塁打、6打点と結果を残し[34]、同大会のラッキーボーイと形容された[35][36]。日本代表は準決勝で敗退しベスト4で大会を終えた。

シーズンに入ると打撃不振に陥り、138試合の出場でかろうじて最終戦で規定打席には到達したが、2年連続規定打席最下位の.206に終わった。一方守備面では盗塁阻止率.380は2年連続でリーグ1位を記録した。またシーズンでの捕逸はわずか2であり、これはシーズン130試合出場した捕手では1992年古田敦也以来の少ない数字だった。6月14日、対福岡ソフトバンクホークス戦では山口俊スコット・マシソンアルキメデス・カミネーロをリードし、セ・リーグ初の「ノーノーリレー」を達成させた。11月9日、自身初のゴールデングラブ賞を受賞した[37]。なお、初選出されたオールスターゲーム第2戦では初打席の初球でソロ本塁打を打ち、敢闘選手賞を受賞した[38][39]。オフに、400万円増の推定年俸5400万円で契約を更改した[40]

2018年はシーズン序盤から打撃が絶好調で、4月7日の東京ヤクルトスワローズ戦では石川雅規からプロ初の満塁本塁打を放つなど[41]、4月24日の試合終了時点で打率.375となり、4月28日までは首位打者をキープしていた[42]。しかし5月以降の打率は.169と調子を取り戻すこと無くシーズンを終えた[43]。この打撃不振もあり、先発出場を宇佐見真吾大城卓三に譲ることが増え、出場試合数は過去2年間を下回る119試合で、3年ぶりに規定打席に届かなかった。一方守備面では、盗塁阻止率.340で3年連続でリーグトップとなり、セ・リーグでは古田敦也(5年連続)、森昌彦(3年連続)に続き史上2位タイの記録となった[44]。また、この年は山口俊・菅野と2度のノーヒットノーラン達成試合を捕手としてリードしており、同一年でノーヒットノーランを2度支えた捕手は和田博実以来52年ぶりだった[45]。前年の「ノーノーリレー」から2年で3回の「ノーヒットノーラン」を達成させたことになる。オフに、600万円増の推定年俸6000万円で契約を更改した[46]

2019年炭谷銀仁朗の加入や監督の原辰徳の方針もあり、先発マスクは菅野や山口俊などが投げる試合に限られ、出場試合は4年ぶりに100を割り込むなど減少した。その中で盗塁阻止率は4年連続でリーグトップの.419を記録した。また打撃面では4月19日の阪神戦では先制3点本塁打を打つとプロ6年目で初となる1試合4安打(23日にも記録)するなど4月は高打率を記録し、またリーグ優勝を決めた9月21日には山ア康晃横浜DeNAベイスターズ)から同点適時打を打つなど、シーズン通しての打率.244はプロ6年間で2番目に良い数字であった。

オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12日本代表に選出された[47]。同大会で日本はプレミア12で初優勝し、小林自身にとっても初の国際大会優勝を経験した。12月9日に最優秀バッテリー賞を山口とのコンビで受賞し[48]、同日の契約更改では4000万円増の推定年俸1億円で4年契約を結んだ[注 1][51]

2020年は開幕3戦目の6月21日、左手首に死球を受けて左尺骨を骨折し、早々に長期離脱となった[52]。約3か月を経て9月中旬に一軍復帰するも打撃不振。10月18日から二軍で再調整していたが、10月20日の二軍公式戦でワンバウンドの投球を止めた際に右手人差し指を負傷し[53]、病院で右手示指末節骨骨折と診断された[54]。負傷の影響から出場試合はわずか10試合にとどまり、日本シリーズには出場登録すらされなかった[55]。これらの怪我で試合に出場できなくなった小林について、監督の原辰徳は「野球選手じゃない」「職場放棄」と辛辣な言葉で批判している[56]。4年契約の1年目を終え、現状維持の推定年俸1億円で契約を更改した[57]

2021年も開幕一軍入りした[58]が、先発出場はなく、守備固めとして6試合に起用されただけで、4月7日に若手捕手の岸田行倫との入れ替わりで登録を抹消された[59]。二軍では4月中に安打を放てず、28打席連続無安打を記録。5月3日の試合で初安打を記録し、21日にようやく打率1割台に到達した[60]。二軍公式戦24試合に出場し、打率.115という成績だったが、6月2日に一軍に再昇格[61]。小林の昇格により、一時捕手4人体制となったが[62]、2日後に岸田が再度二軍降格となった[63]。4年契約の2年目を終え、現状維持の推定年俸1億円で契約を更改した[64]

2022年は前年度の打率1割など不調の自分の立ち位置を冷静に見定め「全てを1から変える」と語るなど心機一転の年となり、自己改造のために年明けからキャッチング・フィジカル強化・ランニング・バッティングなどの基礎の猛練習を行い、例年よりも練習量が多く時間が9時間にも及ぶことがあった[65]。7月の時点で打率1割台と活躍できていなかったものの、ファンからの人気は根強く同年のオールスターのファン投票はノミネートされていた大城を上回る投票数を獲得し[66]、その後に行われたプラスワン投票で見事に選出された[67]。後半戦も打てない日々が続き、球団ワースト2位となる40打席連続で無安打(球団ワースト記録は1999年に光山英和が記録した43打席連続無安打)になったことがある[68]


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