この二人等の比較を基に、清親は「明治の広重」と呼ばれるようになる[47]。
1970年代以降は、静岡時代の動向[63][64]、暁斎との繋がり[65]、作品にみる開化期の交通機関[66]、風刺画の研究[67]、アメリカ版画からの影響[68]、戦争画[69]、肖像画[70]、版木[71]など、多様な研究がなされている。
清親は「最後の浮世絵師」と言われることがある[72][73]。ただし、同様に呼ばれる浮世絵師は複数いる[注釈 13]。それに対して内藤正人は、明治の浮世絵師を一括して「最後の浮世絵、あるいは、新たな表現の可能性を模索した絵師」としている[83]。
鈴木重三は、清親を「洋画を専攻した画家」として、輪郭線に頼らない「光線画」を評価し、彼を「浮世絵師」と見なしていない[84]。
作品
錦絵
⇒猫と提灯特大判(神奈川県立歴史博物館他所蔵)1877年の第一回内国勧業博覧会製造部門出品作。岸田吟香[注釈 14]は「博覧会の記」にて、「小林清親の写たる猫の図と橋場の夕景ならびに銀座通りの図などハ西洋画に髣髴として尤も新奇なり」と評価する(『東京日日新聞』1877年9月19日付)[88]。江戸時代の錦絵版画は多くても10数回摺りだが、本作は現存する版木によって、35回摺りなのが確認できる[89]。
イルミネーション 東京国立博物館提供ガス灯実演(ガスミュージアム)
「東京新大橋雨中図」大判 1866年 太田記念美術館所蔵
「東京小梅曳船夜図」大判 1866年 町田市立国際版画美術館所蔵
「イルミネーション」大判 1877年
「東京名所図 東京両国百本杭暁之図」 町田市立国際版画美術館所蔵
「東京名所図 千ほんくい両国橋」 町田市立国際版画美術館所蔵
「東京名所図 新橋ステンション」 町田市立国際版画美術館所蔵
「東京名所図 浜町より写両国大火」 町田市立国際版画美術館所蔵
「東京名所図 両国焼跡」 町田市立国際版画美術館所蔵
「東京名所図 両国大火浅草橋」 町田市立国際版画美術館所蔵
「東京名所図 両国花火之図」 神奈川県立歴史博物館所蔵
「今戸橋月夜茶亭」 兵庫県立美術館所蔵
「上野公園画家写生図」 兵庫県立美術館所蔵
「梅若神社」 大判 1877年 兵庫県立美術館所蔵
「今戸有明楼之景」 1879年 兵庫県立美術館所蔵
「亀戸梅屋敷」 1879年 兵庫県立美術館所蔵
「朝顔」大判 1879年 太田記念美術館所蔵
「柿に目白」大判 1880年 太田記念美術館所蔵
「鶏に蜻蛉」 横大判 1880年 慶應義塾図書館所蔵
「新版三十二相」 大判8枚揃 1882年 原胤昭版
「我野戦砲兵九連城幕営攻撃」 大錦3枚続 1894年
「日本名勝図絵 松島」 大判 1896年 太田記念美術館所蔵
「花模様」 大判3枚続 10組 1896年 国立国会図書館所蔵 「寛永正保頃」など。
「古代模様」 大判3枚続 全3種 1896年 「清少納言」、「紫式部」、明治30年 「仏」
「明智左馬之助光春湖水乗打唐崎松之図」 大錦3枚続 1899年
「牛荘附近雪夜斥候」 大錦3枚続 神奈川県立歴史博物館所蔵
「黄海之戦我松島之水兵死臨問敵艦之存否」 1894年 大英図書館所蔵
「成歓ニ於テ日清激戦我兵大勝図」 1894年 大英図書館所蔵(16126.d.1(3)、16126.d.1(52))
「第二軍旅順口攻撃之図」 1894年 大英図書館所蔵
「我軍平壌清営襲」 1894年 大英図書館所蔵
「冒弾雨単身開玄武門」 1894年 大英図書館所蔵(16126.d.1(30)、16126.d.2(59))
「於黄海我軍大捷 第一図」 1894年 大英図書館所蔵
「我艦隊大連湾砲撃之図」 1894年 大英図書館所蔵
「於黄海我軍大捷 第四図」 1894年 大英図書館所蔵
「陸海軍人高名鑑:陸軍中将山地元治君」 1895年 大英図書館所蔵
「陸海軍人高名鑑:工兵小野口徳治氏」 明治28年(1895) 大英図書館所蔵
「陸海軍人高名鑑:浅川大尉 二等騎兵木村源松氏」 1895年 大英図書館所蔵
「日本万歳百選百笑:退将の泣別れ」 1894年 大英図書館所蔵
「日本万歳百選百笑:御注進御注進」 1894年 大英図書館所蔵
「日本万歳百選百笑:木偶の坊」 1894年 大英図書館所蔵
「日本万歳百選百笑:豚の当惑」 1894年 大英図書館所蔵
「日本万歳百選百笑:竜宮の騒ぎ」 1894年 大英図書館所蔵
「日本万歳百選百笑:奉天府の荷厄介」 1894年 大英図書館所蔵