小日向文世
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専門学校を通っていた時に「役者業」に興味を持つようになり、専門学校卒業後、22歳で俳優を目指すことを決意[14]。初めは文学座に挑戦するがオーディションに落ちて失敗[9][13]

しかし、アルバイト先の先輩から、当時松田優作と並んで文学座で人気だった中村雅俊のコンサートスタッフ募集の話を聞いて手伝いを始め[13]、いつのまにか中村の付き人を務めるようになる[9]

その後も俳優への意欲は衰えることなく、中村にもきちんとした劇団へ入ることを勧められ、1977年串田和美が主宰する「オンシアター自由劇場」の試験を受け、入団する[15]1996年の解散まで19年間在籍し[9]、劇団の看板女優吉田日出子の相手役を務めた[10]

39歳で同じ劇団の女優だった11歳年下の女性と結婚し[9][14]、長男をもうける[9]も翌年劇団が解散[14][16]。その後は映画・テレビドラマなど映像分野での活躍を切望するも端役が多く、5年間で連続ドラマの出演作は1本のみ[16]。事務所に給料の前借りをしてなんとか食いつなぐ借金生活に陥る[16][17]
実力派俳優として認知

1998年、平山秀幸監督の映画『愛を乞うひと』において、主人公と密接にかかわる大役を得て存在感を見せた。ドラマでは『世にも奇妙な物語』シリーズで次第に役が付くようになっていった。

それ以降は、映画・テレビにおいて「神経質でヒステリックなインテリ役」にキャスティングされることが多くなる。2000年代に入ると役の幅が広がり、映画『非・バランス』で難役であるオカマ役を演じて、高い演技力を見せつけた。

2001年三谷幸喜演出の舞台『オケピ!』にとぼけたピアニスト役で出ている小日向を見たフジテレビのプロデューサーによって、木村拓哉主演のフジテレビ月9ドラマHERO』にメインキャストの1人として起用され[16][12]レギュラー出演したところ、ドラマが全話視聴率30%超えを記録する大ヒットとなり、それを機に仕事が途切れなく入るようになり食べていけるようになる[16][18]

フジテレビ系列の単発オムニバスドラマ『世にも奇妙な物語 '01春の特別編』の一編「厭な子供」にて主演を果たす。映画では2004年の『銀のエンゼル』で主演、連続ドラマでは2008年1月期の関西テレビ制作・フジテレビ系『あしたの、喜多善男 - 世界一不運な男の、奇跡の11日間 -』で主演を務めた。
近年の活躍

2016年1月9日より日本テレビ『ぶらり途中下車の旅』に、藤村俊二(2代目ナレーター)の後を引き継いで、3代目ナレーターとして登場した[19]
人物

家族への愛情が深く、2人の息子とはハグを交わし、妻とは毎日「行ってきます」のキスを欠かさない
[12]。長男で俳優の小日向星一とは2018年放送のいすゞ自動車のCMで初共演を果たした[6]。次男の小日向春平も俳優で、兄の星一と『青天を衝け』で兄弟共演した[20]ほか、テレビ熊本のドキュメンタリードラマ『名優 笠智衆 春風のあるがごとし』では、父の文世が笠智衆の老年期を、春平が青年期を演じた[21]

出演

出演作品(時期)役名の順に記載。役名が太字なのはメインキャラクター。
舞台

上海バンスキング(1979年 - 1994年 全9演)

5時の恋人(1992年11月)

阿呆劇 三文オペラ(1993年)

阿呆劇 フィガロの結婚(1995年)

幽霊はここにいる(1998年5月)

月ノ光(2000年4月)

VOYAGE(2000年10月)

オケピ!(2000年6月 - 7月、2003年3月 - 5月)

彦馬がゆく(2002年1月 - 3月)

ドライブイン・カリフォルニア(2004年4月 - 5月)

マダラ姫(2004年12月)

ミザリー(2005年6月 - 7月、2007年9月 - 11月)

12人の優しい日本人(2005年12月 - 2006年1月)


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