小島秀夫_(ゲームデザイナー)
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1995年にコナミの分社化に伴いコナミコンピュータエンタテインメント大阪(後のコナミコンピュータエンタテインメントスタジオ)の開発第5部の部長になり、翌年に開発第5部がコナミコンピュータエンタテインメントジャパンとして独立、東京に開発拠点を置いた。

1998年には『メタルギアシリーズ』の復興として、プレイステーションの能力を生かして制作された『メタルギアソリッド』が発売された。『メタルギアソリッド』は旧来の『メタルギア』のプレイヤーのみならず新たな層も開拓し、さらにアメリカ合衆国では日本でのセールスを大きく上回りダブルミリオンを達成するほどの人気が出ており、全世界で約660万本を売上げる大ヒットとなった[8][9]
2000年代

2001年にはロボットアクションゲームである『ZONE OF THE ENDERS Z.O.E』と、『メタルギアソリッド』の続編である『メタルギアソリッド2』をリリースした。『メタルギアソリッド2』及び前作のヒットを受けて、2001年12月24日発売のアメリカの「ニューズウィーク」誌で「未来を切り開く10人」に日本人として唯一選ばれた[10]

2004年には『メタルギアソリッド3』をリリース。G4Tech TV主催「G-Phoria」特別功労賞 (Legend Award) を受賞した[11]

2005年4月にコナミの再編によりコナミコンピュータエンタテインメントジャパンがコナミに吸収合併され、同年5月に自身の開発チームである小島プロダクションが発足した[12]。同年12月19日、小島プロダクションの公式サイト内のブログ『HIDEO BLOG』内でネットラジオ『HIDECHAN!』を配信開始[13]。同月28日から『HIDECHAN! ラジオ』へと移行した[14]。小島プロスタッフや『メタルギアソリッド』シリーズゆかりの声優などを招きトークを展開、パーソナリティーとしての側面も見せる。

2006年にコナミが持株会社へ移行[15]。それに伴い、新設子会社であるコナミデジタルエンタテインメントに移籍、同時に執行役員クリエイティブオフィサーに就任する[16]。同年の10月23日に全米プロデューサー組合が決める「世界で最も革新的なプロデューサー、クリエイター 50人」の1人に選出された[17]

2007年9月22日東京ゲームショウ2007で行われた「レトロゲーム・アワード2007」で最優秀新人賞を受賞。ゲームを表彰する舞台が存在しなかった20年前に、もしこういったイベントがあればと想定して企画されたものであり、小島は「まだ1本しか作っていないのですが、次はファミコンに挑戦してみたいと思います」と、20年前の想定でコメントしている[18]

2008年6月、PS3専用ゲームソフトとして『メタルギアソリッド4』を全世界同時発売[19]

2009年3月、GDC 2009に招かれ、『ソリッドゲームデザイン:『不可能』を可能にする(Solid Game Design: Making the 'Impossible' Possible)』と題した基調講演を行う[20]。同講演の中で、『MISSION:The NEXT MGS』の文字とともに、刀を持った男(後の週刊ファミ通におけるインタビューで雷電であると公言[21])が描かれたロゴを発表し、「新しいミッション『The NEXT MGS』に挑みたい」というコメントを残す[22]

2009年4月、コナミデジタルエンタテインメントの専務執行役員に就任[23]

2009年6月2日・3日、E3 2009において、『メタルギアシリーズ』の新作として、Xbox 360PS3・PC向けに『METAL GEAR RISING REVENGEANCE』、PSP向けに『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』、アーケード向けに『METAL GEAR ARCADE』の三作品を制作すること、またPS3 / Xbox 360向けアクションゲーム『Castlevania -Loads of Shadow-』(悪魔城ドラキュラシリーズの新作)を小島プロダクションがプロデュースすることをそれぞれ発表した[24]


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