小学4年生の時、叔父に初めて、芝居見に連れて行ってもらったという[15][12]。偶々曾祖父が役者であり、一座を持っていたという[16]。そういった関係で小さい頃に家の屋根裏に三味線、衣装、かつらといったのが結構あったりして、兄弟で遊んでたりしていたという[16]。劇団民藝の舞台でこれだけの人前で、注目されながら、あんな風に喋り、「なんてすばらしい世界なんだろう……」と憧れたのが、役者志望の動機だったという[15]。小学校4年生の夏休みに近所の西尾市岩瀬文庫に通い詰め、『少年少女世界文学全集』全50巻(講談社)を読破した。「それで目覚めたというか、将来は表現する世界を目指そうと意識し始めたんです」と小山はインタビューに答えている[14]。西尾市立鶴城中学校、愛知県立西尾高等学校卒業[4][14]。
中学、高校時代は演劇部に所属[16][12]。昔から学生演劇をしており、東京都の私立大学の文学部演劇科を目指していたが、当時は学生運動が大変な時代であり、娘を1人上京させるわけにはいかない社会情勢であり、卒業後は劇団シアター・ウィークエンドに所属し、舞台女優として活動していた[4][10]。代表の松本喜臣は「彼女は実はウチを『劇団青俳』と間違えて入ってきたのね。ウチもアラバールとかやってたから」と小山との出会いを述懐している[17]。1975年にドラマ『キヨコは泣くもんか』でドラマデビュー[4]。気がついたら上京しており、映像の仕事をしたかったが、偶々声の仕事をやったらどうかという話があり、『一休さん』の桔梗屋弥生(やよいさん)役で声優デビューした[注 1]。私生活では、NHK名古屋のラジオで共演した声優の古谷徹[15]と1976年に結婚し1983年に離婚している。
愛知江南短期大学初等教育学部中退[4]。ニューヨーク市立大学ハンター校に短期留学していた時期もある[4]。当時は番組を降板して、アメリカ合衆国に行ったが、結果的には1年かけて地球一周してきたという[3]。 声種はクセのない新鮮でのびのあるメゾソプラノ[2][18]。 多数のアニメ、洋画、テレビ、ラジオ等に出演している[6]。 吹き替えでは、キム・ベイシンガーやシャロン・ストーンなどが持ち役。 少年少女から動物役までを演じ分けている[19]。 趣味は旅、特技は日本舞踊、スキューバダイビング[7]。 『Dr.スランプ アラレちゃん』はオーディションを受ける前から原作『Dr.スランプ』のファンであり、最初は木緑あかね役を受けたが則巻アラレ役の声優がまだ決まっていなかったため受けたところ関係者から評価され、最終的にアラレ役として選ばれた[20]。 原作者の鳥山明とも面識があり、『週刊少年ジャンプ』1982年39号でアラレ帽子を被って鳥山と一緒に撮った写真が掲載され[21]、鳥山やアニメスタッフとともに箱根にピクニックに行ったりしている[22]。インタビューでは「まさか自分がアラレの声をやれるなんてまさか思ってなかった。だから、楽しくってしょうがない」「ぶりっ子のお芝居にならないように気を付けているため、動作までアラレに似ていてアラレは私の分身」[23]「アラレちゃんのオーディションでとんでもない声を出したら採用され、その声を持続するのに苦労した」[24]、『Dr.スランプ』の単行本18巻掲載のコメントでは「おかげさまで、私の代表作になりました」と言っている[25]。
人物
則巻アラレ