中学、高校時代は演劇部に所属[16][12]。昔から学生演劇をしており、東京都の私立大学の文学部演劇科を目指していたが、当時は学生運動が大変な時代であり、娘を1人上京させるわけにはいかない社会情勢であり、卒業後は劇団シアター・ウィークエンドに所属し、舞台女優として活動していた[4][10]。代表の松本喜臣は「彼女は実はウチを『劇団青俳』と間違えて入ってきたのね。ウチもアラバールとかやってたから」と小山との出会いを述懐している[17]。1975年にドラマ『キヨコは泣くもんか』でドラマデビュー[4]。気がついたら上京しており、映像の仕事をしたかったが、偶々声の仕事をやったらどうかという話があり、『一休さん』の桔梗屋弥生(やよいさん)役で声優デビューした[注 1]。私生活では、NHK名古屋のラジオで共演した声優の古谷徹[15]と1976年に結婚し1983年に離婚している。
愛知江南短期大学初等教育学部中退[4]。ニューヨーク市立大学ハンター校に短期留学していた時期もある[4]。当時は番組を降板して、アメリカ合衆国に行ったが、結果的には1年かけて地球一周してきたという[3]。 声種はクセのない新鮮でのびのあるメゾソプラノ[2][18]。 多数のアニメ、洋画、テレビ、ラジオ等に出演している[6]。 吹き替えでは、キム・ベイシンガーやシャロン・ストーンなどが持ち役。 少年少女から動物役までを演じ分けている[19]。 趣味は旅、特技は日本舞踊、スキューバダイビング[7]。 『Dr.スランプ アラレちゃん』はオーディションを受ける前から原作『Dr.スランプ』のファンであり、最初は木緑あかね役を受けたが則巻アラレ役の声優がまだ決まっていなかったため受けたところ関係者から評価され、最終的にアラレ役として選ばれた[20]。 原作者の鳥山明とも面識があり、『週刊少年ジャンプ』1982年39号でアラレ帽子を被って鳥山と一緒に撮った写真が掲載され[21]、鳥山やアニメスタッフとともに箱根にピクニックに行ったりしている[22]。インタビューでは「まさか自分がアラレの声をやれるなんてまさか思ってなかった。だから、楽しくってしょうがない」「ぶりっ子のお芝居にならないように気を付けているため、動作までアラレに似ていてアラレは私の分身」[23]「アラレちゃんのオーディションでとんでもない声を出したら採用され、その声を持続するのに苦労した」[24]、『Dr.スランプ』の単行本18巻掲載のコメントでは「おかげさまで、私の代表作になりました」と言っている[25]。小山が歌っている「アラレちゃん音頭」は全国の盆踊り大会などで使われ大ヒットし、盆踊りの定番となった。小山はライブハウス、大ホールのコンサートツアーなどでも歌った[26]。 『Dr.スランプ アラレちゃん』放送終了後の1990年代劇場版で他のキャラクターの声優が交代しても[注 3]アラレ役は変わっておらず[注 4]、その後のゲームやメディア作品でも演じている。また同作で則巻千兵衛を演じていた内海賢二が死去した時は、アラレの口調で「博士 また会おうね」「行ってらっしゃい バイチャ」と追悼メッセージを寄せている[27]。
人物
則巻アラレ