小室哲哉
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^ クレジットに乗る際の大部分の名義として定着している。
^ 2010年から使用。
^ 1997年の全米進出時に使用。
^ dosのアルバム『chartered』に使用、またTM NETWORKのオフィシャルサポーターユニットのグループ名として命名、バリ島の別荘の表札に使用。
^ mF247への楽曲提供時に使用、現在も時折使っている。
^ TRFの海外用PR盤制作時に使用。
^global trance 2』制作時・『Cyber TRANCE』プロジェクト参加時に使用。
^ 『Embryo』の発表時に使用。
^ハンバーグ&カニクリームコロッケ』での活動時に使用。
^ 小室・西村麻聡山田わたるによる企画ユニット。FENCE OF DEFENSEのデビューによりTM NETWORKのサポートメンバーから抜けざるを得なくなった西村・山田への返礼として結成され、1987年1月に全国8ヶ所を周った。ハワード・ジョーンズのコピー・TMの楽曲のインスト・吸血鬼ハンター“D”の楽曲・未発表のオリジナル楽曲が演奏された[4]
^ 1993年の「avex rave '93」まで正式メンバーとしてキーボードで参加。
^ 山羊智詞率いるロックバンド。小室はキーボーディスト・作曲家としての参加であり、水江慎一郎 (ex UP-BEAT)、横内健亨(ex ハイソサエティーTENSAW)、朝井泰生今川勉 (ex ECHOES) もメンバーとして名を連ねていた。ツアー途中からに太田明(ex 筋肉少女帯)が参加、1993年頃にデビューアルバムをリリースする予定だったが、レコード会社・所属事務所の都合でアルバムリリース直前に解散。EPIC・ソニー(現:エピックレコードジャパン)から発売予定だった1stシングル「No! Mercy Boy!」は、小室哲哉の作曲作品(山羊智詞 作詞)で、東京パフォーマンスドールの「キスは少年を浪費する」と同曲であった。
^ 東京パフォーマンスドールのアルバム『MAKE IT TRUE ?Cha-DANCE Party Vol.6』のサウンドクリエイトのために結成された小室と久保こーじと松本みつぐ・田代隆廣が取締役・プロデューサーを務める音楽製作プロダクション「MST」からなる制作ユニット。
^ 小室・久保こーじ・溝口和彦・赤堀眞之の4人からなる、小室哲哉の作品の制作チーム。アレンジ・プロデュース面での共同制作の体制を採用している。2016年から徐々につながる様に活動していき[5]ラストアイドルの「風よ吹け!」で初めてクレジットが掲載された。小室とは離れたシンセサイザー・バンドとしての一面もある。
^ 小室哲哉feat.神田沙也加(TRUSTRICK)& tofubeats[6]
^ 「音楽のファンというより、ヴィジュアルのファンだった」「生まれて初めて自分で買った洋楽のロックアルバムが『ザ・スライダー』だったけど、アバンギャルドで恐ろしい音楽。アコースティック・ギターがメインのイギリスのフォークという色で、僕が得意とする音じゃなかった」と語っている[24]
^ 「『スター・ウォーズシリーズ』や『未知との遭遇』等のSFのイメージを歌詞・音・ロックのジャンルで表現していた」と話している[25]
^ナイスの時に知った際はロックというより怖い宗教音楽みたいなイメージでのめり込む勇気がなかった。ELPになった時『シンセサイザーとロックがつながった』と感じ、色々買い出した」[28]「運指の粗さ・ミスタッチをアドリブでどうごまかすか、どのようにお客さんを驚かせて喜ばせるかがすごく勉強になった」と話している[29]
^ 「テクニックや正確さよりも、それぞれが気持ち良いと思う響きを奏でようとする姿勢に共感しました」[30]「『フェイシング・ユー』を聴かなかったら、もしかしたらプロにならなかったかもしれない。弾き方や癖にまで影響を受けた。元々ジャズピアニストだがグルーヴ感があり、ロックを感じた」[13] と話している。
^ 哀婉・あのねのね白竜原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等。
^ 「『ジョルジオ・モロダーと言えば小室君!』と宣言できる位、僕は彼のことに詳しいですよ。彼には悪いけど、すごく音楽性が似てるんだもんね」と話している[34]
^ ロンドンを気に入り永住権も取得していたが[43]、最終的に引き払った[44]
^ビルボードでも堂々と1位を取ったり等大衆性があった。とにかく歌う側も『誰かに形にしてもらって当たり前』と完璧に開き直っていました。そんなすごく華やかなシーンに注目していたので、この時期の日本の動きにはほとんど目がいってませんでした」[47]「どのブースに行ってもコントロールルームみたいで、誰も楽器を扱わずにひたすらボタンをいじっていた」「『イギリスは島国だけど、日本と違ってアメリカやヨーロッパと繋がっているんだな』と再認識させられました。今でいうハブ空港じゃないけど、『ポータル的な場所だ』と思っていたんです」「日本の海外進出活動とは違って、戦略的にチャートヒットを仕掛けて、当たり前のように実現させてきたんですよね。そんなスタイルを『早く日本に持ち帰って、追いつかなきゃ』と焦りを感じていたんです」[48] と話している。
^ 「画期的な音楽なんですよ。1曲の中にリズムが2個同居しているから、ゆっくりとリズムをとってもいいし、その半分の感覚で速いリズムをとってもいい。あらゆる意味でバランスの良いリズムですね」[49]「限界がないというか。具体的に言えば、ロールプレイングゲームの様にいくつかのジャンルを簡単に組み合わせることができる。最初だけじゃどうなるかわからないけど、展開していくにしたがってわかっていくのがジャングルのいい所」「1曲でいくつもの顔を持つ音楽。速いテンポと遅いテンポを同時に持っているとか、ラガマフィンテクノが混ざっている等のスタイルがある」[50]「『サンプリングのドラムの音をあそこまでピッチを高くして上げて、高くなった音にまた別の音とリズムを重ねる』という当時の自分のスタジオでも30分でできたことだった。当時発表しても『音がペラペラでこういうリズムでは踊れない』と言われたかもしれないが、古いシンセサイザーでも一番安く誰でもすぐ作れるのに第一発見者になれなかった」[51] と振り返っている。
^ 「懇意にしている洋服のブランドを日を空けてまた買いに行くと、全く違う系統のデザインや色使いになっていたような感じだった。それを2時間のライブにどう持ち込んで凝縮させるかを考えていた」と話している[56]
^ 小室と同時にプロデューサー契約を締結した同期生として、CMJK久保こーじ・松原憲がいた[61]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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