小室ブーム
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^ 反面「当時SNSがあったら、たぶん否定的な意見に負けてしまっていたと思うんですね。1990年代はまだそこまでネットの時代ではなかったので、否定的な言葉が直接飛び込んでこなかった。いい話だけを聞けて、否定的な話には耳を閉じることが可能でした。だから前に進めた。『これでいいんだ』と」とも語っている[89]
^ これに対して小室は「ロサンゼルスに住んでいた頃は2日に1曲作っていた。日本向けのミックスを制作するという発想すらなかった。ミキシング作業は僕の意図が早く通じるイギリスかアメリカ出身のエンジニアが中心でした。だから日本のマーケットの耳も洋楽的な音像に慣れてきた」と語っている[116]
^ これに対して小室は「教育活動というほど押し付けがましいことは全然していない。トラック・テンポ等考えているけど、どうしても色は出てしまうので困る。ただ、今実験しているのが『ポップだね』と言われたらこれ程嬉しいことはない」と答えている。
^ これに対して小室は「『自分から仕切る』のはプロデューサーではないと思ってますから。僕のプロデュースの原点は最初にその人ありきで、まずその人が『何をしたいのか、どうなりたいか』をインタビューすることから始めて、僕が『叶えてあげられそうだ』と思ったら話が成立する。やり方はプロ野球監督やサッカーのコーチに近い。『成功するために一緒にいくつかのハードルを超えていこうよ』ってなるんです」と答えている。
^ これに対して山下達郎は「そうそう、まったくその通り」と答えている[125]

出典^ 神山典士 1997, p. 194-201
^ 小室哲哉 & 中谷彰宏 1998, p. 98-101
^ “エイベックスの歴史”. 松浦勝人オフィシャルブログ「仕事が遊びで遊びが仕事」Powered by Ameba. (2006年12月16日). https://ameblo.jp/maxmatsuura/entry-10518384040.html 2006年12月16日閲覧。 
^ a b “【転機 話しましょう】(60)音楽プロデューサー、小室哲哉さん ちょっとした感謝が身を救う 栄光、挫折、復帰…すべての場面にいた“戦友””. msn産経ニュース (2012年4月21日). 2012年4月21日閲覧。
^ 文藝春秋刊「週刊文春」1995年4月27日号「阿川佐和子のこの人に会いたい 96回目 小室哲哉『浜ちゃんの曲が今までで一番心配でした』」pp.60-64より。
^ a b 月刊経営塾刊「月刊経営塾」1996年8月号「特別対談 小室哲哉VS野田一夫 『創る極意売る極意』教えます」pp.114-119より。
^ “ ⇒有限会社スーパーラブ会社概要”. 2019年3月4日閲覧。
^ 神山典士 1997, p. 205-208
^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』1997年6月号より。
^ a b c d クレタパブリッシング刊「昭和50年男」May Vol.004「シーンを刷新し続けたエピック・ソニーとブームへの布石を築きはじめた小室哲哉」pp.14-17より。
^ a b日本経済新聞」2022年7月20日号「私の履歴書 丸山茂雄 (20) レーベル米国流」p.44より。
^ a b 毎日新聞出版刊「エコノミスト」2008年12月9日号「堕ちた『時代の寵児』 小室哲哉被告が利用した著作権に対する世間の“誤解”」p.79より。
^ a b c 宝島社刊「宝島」1995年5月17日号「宝島VIPルーム 小室哲哉 90年代最大のヒットメーカーが語るクールな市場戦略」pp.50-53より。
^ a b 日経BP社刊『日経エンタテインメント!』1998年3月号「ビジネスとして語る、X解散、GLAYの成功、そして海外進出 『必ず売る、意地でも売る』?日本の音楽産業との10年戦争」pp.24-27,「エイベックス期待の新ヒットメーカー」p.95より。
^ a b c d e 講談社刊『Views』1995年6月号「小室哲哉の『ミラクル』全角度研究」pp.56-67より。
^ 神山典士 1997, p. 275-276
^ a b 麻生香太郎 1997, p. 77
^ オリコン・エンタテインメント刊「オリコン・ウィークリー」1994年1月24日号「SPECIAL対談 小室哲哉&trf」p.4より。
^ 角川書店刊『月刊カドカワ』1994年1月号pp.209-210より。
^ a b マガジンハウス刊『POPEYE』1994年2月25日号「私の一番回し ミュージシャン 小室哲哉さん 『瞑想的な気分とテクノロジーを結び付けたOrbの音楽。』」p.88より。
^ 小室哲哉 & 中谷彰宏 1998, p. 172-173
^ リットーミュージック刊『ギター・マガジン』2017年4月号『小室哲哉が語る"歌謡曲とギター"』pp.76-79より。
^ ダイヤモンド社刊『FM STATION』1993年5月10日号「アーチスト伝言板」p.21より。
^ ソニー・マガジンズ刊 『WHAT's IN?』1993年9月号「TMN The Super Express Interview -'94年の予告-」p.16,「T.UTUと仲間たち(木根尚登/FENES OF DEFENCE)」p.97より。
^ ソニー・マガジンズ刊 『WHAT's IN?』 1994年8月号「小室哲哉のスーパープロデュース論 後編 終了もひとつの“企画”だった!? TM Final Interview AFTER THE DOME TMN」pp.168-170より。
^ぴあ」1999年12月6日号「小室哲哉 『時代が鳴らす音』」pp.20-24より。
^ a b 角川書店刊『月刊カドカワ』1994年12月号『小室哲哉 疾走するヴィジョン』pp.105-120より。
^ 同朋舎刊「WIRED」1997年5月号「小室哲哉インタビュー 名詞+動詞+情報=音楽」pp.54-57より。
^ a b c 集英社刊「Bart」1995年3月13日号『今は、勝てる勝負しかしていない』pp.36-41より。
^ 小室哲哉 & 中谷彰宏 1998, p. 173

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