小和田哲男
[Wikipedia|▼Menu]

小和田 哲男
YouTube
チャンネル

戦国・小和田チャンネル


活動期間2020年4月25日[1][2] - 現在
登録者数3.81万人
総再生回数約341万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年7月29日時点。
テンプレートを表示

小和田 哲男(おわだ てつお、1944年昭和19年〉2月1日 - )は、日本歴史学者文学博士[3]静岡大学名誉教授[4]日本城郭協会理事長[3]岐阜関ケ原古戦場記念館館長。研究分野は、日本中世史、特に戦国時代[4]後北条氏[5]今川氏[6]
経歴

静岡県静岡市生まれ。家族や親戚から「母方の先祖が武田家臣の馬場信春だ」と聞かされて育った[7]。自身のYouTubeチャンネルでの発言によると、母親の旧姓が馬場であり、実家の家系図によると馬場信春の弟の家系ではないか、とのこと。

東京都内の千代田区立番町小学校千代田区立麹町中学校城北高校を経て[8]早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業、1972年大学院文学研究科博士課程満期退学。1985年に「戦国大名後北条氏の領国制 後北条氏研究」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。

1973年(昭和48年)に静岡大学教育学部の専任講師、助教授を経て1987年に教授。教育学部長、附属図書館長を務め、2009年3月に定年退任して名誉教授。2011年には武田氏研究会の会長。

歴史学者小和田泰経は子息[9]
研究業績

今川氏は学生時代からの研究テーマ
[6]であり、研究書としての『小和田哲男著作集』中の第2巻『今川氏家臣団の研究』は今川氏家臣団を研究した内容としては現時点では最も詳細な方に入る。特に、桶狭間の戦い織田信長に討たれたためマイナスイメージが強かった低かった今川義元を、経済開発など領国統治の手腕に着目して再評価した[6]

基本的には戦国時代から江戸時代の資料を参考にしている。従来は創作性が強く史料的価値が低くみられていた『甲陽軍鑑』を再評価した酒井憲二の国語学的な研究に賛同し、実証的研究の立場から『甲陽軍鑑』を再評価している[10]。また、その一方で、他の研学者・専門家から「史料の検出方法や解釈に問題がある」との意見も出されている。一例として、未発見の後北条氏分国法『伊勢宗瑞十七ヶ条(仮題)』条文内容の検出をしているが[11]、その史料解釈や方法に問題点があるとされている[12]

日本の城についても研究しており、講演などの際には訪問先の城や城跡に行くよう心がけており、体力づくりのためトレーニングジムに通っている[6]日本100名城の選定委員も務めた。

人物

小学生の時に
江戸城明治時代以降は皇居)の石垣を見て驚く[6]など子供の頃から歴史が好きで、1年生のクラブ活動で歴史部を創設して、顧問の社会科教師に高柳光寿『明智光秀』の輪読を薦められ、明智光秀に関心を持つ[13]

本格的な研究者向けの著作がある一方で、歴史研究の初心者にも読みやすいように図を入れたり文章などに配慮したりした本も多く出版している。『日本史おもしろこぼれ話』のような歴史の余談に関する著作もある。このため特定の戦国武将のファンから反発を受けることもあり、武田信玄が女子供を生け捕りにして売ったことを書いた著作には抗議が来たこともあるという[6]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:44 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef